4月30日、港区金杉橋の公園(撮影:初沢亜利)
4月30日、港区金杉橋の公園(撮影:初沢亜利)

写真家は外に出ないと始まらないでしょう

 ところが、インタビュー開始から30分ほどたったときだった。それまで理路整然と話し続けてきた初沢さんが黙り込んだ。そして、言葉を絞り出すように、ぽつりぽつりと語り始めた。

「それにしても不思議だったのは、この状況を撮っている人がぜんぜんいなかったこと。もっとたくさんの人が撮ると思っていましたよ。いろいろな人が、それぞれの違う視点で写したら面白いなと思っていたのに。書店に置かれるような本になったのは2冊だけでしょう。もっと出るかな、と思っていた」

――初沢さんと時津剛さんの写真集ですね。

「うん。やっぱり、難しかったと思うんですよ。『コロナ禍を撮る』ということが。そもそもコロナって、写らないものですから」

 そう話すと、初沢さんはまた沈黙した。

 写真家は、同じテーマを撮るほかの写真家の作品を誰よりも鋭い目で見ている。インタビュー中、「時津さんの秋葉原の写真には負けましたね。本人にも言いましたけれど、これはすごい一枚」と、語るライバル意識。そして、連帯感。その仲間が少ない寂しさ。

 初沢さんが再び口を開いた。

「99%の写真家を敵に回すことになるので、あまり言わないですけれど……カメラを持つ人間が、この歴史的な状況を撮りたくならないものかな、と。音楽家とか、陶芸家、小説家は、家にこもって作品をつくりますけれど、『写真家は外に出ないと始まらないでしょう』と、内心は思っています」

5月9日、営業自粛に抗議して深夜まで店を開け続ける赤坂のバー(撮影:初沢亜利)
5月9日、営業自粛に抗議して深夜まで店を開け続ける赤坂のバー(撮影:初沢亜利)

カメラを持たずに歩いていたら何も見えてこない

 最初はコロナ禍ではなく、オリンピックイヤーの東京を写すつもりだった。東京を撮るのは2000年から1年半、東京新聞で連載したフォトエッセー「東京ポエジー」以来だった。

 振り返ってみれば10年以降、北朝鮮、沖縄、東北の被災地と、「東京から見た日本の周縁をずっとたどってきた」。それは10年間にわたる長い旅のようでもあったという。

「そろそろ自分の拠点である東京をもう一回、撮ってみるべきでは、と思っていたんです。でも、なかなか重い腰が上がらなかった」

 日々暮らす場所で、改めてきちんとものを見ることの大変さ。見慣れた街を撮ることの難しさに躊躇した。

 それでも、「カメラを持たずに歩いていたら、何も見えてきませんから」。20年ぶりに東京を写し始めた。

「1月中はウォーミングアップ期間」。それを過ぎると、「だんだんアンテナが張れてきたというか、見えてきた。何があってもぱっと反応して、カメラを向けてシャッターを切ることに慣れてきた」。東京が「現場になってきた」。

 コロナ禍を意識して写すようになってきたのもこのころだった。「どこかにターニングポイントがあったわけではなく、もう流れ」だった。

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スナップ写真の質は歩いた量に比例する