『寿町のひとびと』 山田清機 著
朝日新聞出版より発売中
「キマ語」というのがあるんだそうだ。たとえば、「今日は雪が降りました」をキマ語で言うとこうなる。
「キョキマウハ ユキマキニ ナキマリマシタ」
つまり「キマ」という二語を挟んで、仲間以外にはその意味がわからないようにするわけである。「学校の授業がめんどうなときなんか、仲間にニキマゲヨウゼって言って、一斉に教室から逃げ出したりしてました」と経験者は語る。「ニキマゲヨウゼ」の原文は「逃げようぜ」だ。
キマ語に先立って「バビ語」も使われていたというが、こちらはもっとわかりにくい。
「キョボウボハバ ユブキビニビ ナバリビマバシタ」
ここから「バビブベボ」を省くと、「今日は雪になりました」になる。
なぜ寿町の子供たちが「キマ語」や「バビ語」を使っていたのかといえば、仲間以外は敵だと考えていたからだ。著者は次のように書いている。
「寿の子供たちは周囲の大人たちを敵視していた。自分の親とはうまくいかず、親のところにやってくるケースワーカーや児童相談所の職員には心を許さず、センター前の広場で焚火をして暖を取っている顔のすすけたドヤのおっちゃんたちのことは、シャネルズと呼んでからかった」
学童保育の指導員、山埜井(やまのい)先生は言う。
「当時の寿の子供たちは、差別と貧困という二語で括れてしまう状態にありました。学校に行けば差別されるから、タテの階層をがっちり作って団結する一方で、とても排他的で、周りにいる大人たちや外から寿に侵入してくる子供たちをカモにしていた。いったん内部に引きずり込んでからカモにするために、彼らの間でしか通じないキマ語という言葉を使っていたんです」
それにしても、大阪の釜ヶ崎、東京の山谷と並び称される日本三大寄場のひとつ、横浜の寿町に学童保育があるとは知らなかった。
「生活保護を受けている単身の高齢男性」の多い町というイメージしか持たなかったのだが、本書によれば、寿町には保育園が二つもあるし、横浜市寿生活館の三階には学童保育も入居しているという。「キマ語」はそういう寿町を映す鏡の一つでもある。