■就職先の先輩も上司も「なりたくない人」ばかり

 合流したふたりは、簡単な挨拶を済ませ、そぼ降る雨のなか、キャンパスへ入って行った。合格発表の掲示開始まではまだ約30分ある。筆者は彼らから数十メートル離れた場所で様子を見守っていたが、ふたりは世間話をするわけでもなく、お互い、片手でスマホを取り出し、片手で傘を差しながら、画面にそれぞれ熱中していた。

 午前10時、番号掲示がスタート。貼り出された紙に近づく受験生の後ろ姿を、彼はスマホで動画撮影し追いかけた。受験生は番号を確認するや、彼のほうに振り返り、そして笑顔を見せた。

「ありました。合格しました!」

 スマホから顔を上げた彼は一言、声を発した。

「良かったですね」

 受験生の男性は依頼の理由をこう話す。

「実家から遠いし、一緒に見に行く人もいないので、同行してもらったら面白そうかなと思ったんです。ひとりで行くよりはホッとするかな、って」

「レンタルさん」と呼ばれ親しまれる彼は、名古屋市に生まれ、生後すぐに兵庫県川西市に引っ越し、両親、兄、姉と関西圏で育った。

「幼稚園の時まではふつうに近所の子たちと一緒に遊んでいました。でも、小学校1、2年ぐらいの時に、場面緘黙(かんもく)症になって、クラスのなかでまったく喋れなくなりました」

 場面緘黙症とは、特定の場所や状況で話すことができなくなる症状をいう。3年生の時に一度、寛解するが、中学生になって緘黙は再発した。

「1回喋れなくなると、もう喋れない。周囲から『喋っていないな』って気づかれてしまうと、そのあと、言葉に注目されるのが怖くなるんです」

 アトピー性皮膚炎の疾患があることも、性格形成の上で影響を及ぼした。手の荒れを見られたくなくて、体育の授業は指先だけ出す「萌え袖」で走り「手を出せ!」と怒られた。顔も荒れていて、いつもうつむき加減。「暗いやつ」だと思われた。

 公立高校を経て、大阪大学理学部の物理学科へ。大学院まで学ぶ。物理の道を選んだのは、中学生の頃、通っていた塾の先生がアインシュタインの「相対性理論」の話をしてくれたからだ。

「この世の中の常識を覆す何かを発見したい」

 ただ、何かになろうという確固たる気持ちを抱いていたわけではなく、研究者への道は「周りが賢過ぎて」諦めた。その大学時代には、個別指導の塾講師のバイトに勤しんだ。小学生から大学受験生までを担当したが、手取り足取り全部を教えてしまうと、本人のためにならない気がした。だから「極力、なんもしないようにしていた」ら、保護者から「全然教えてくれない」と抗議を受けた。保護者が期待することと、自身が思う「良い先生像」とが、かみ合っていなかった。

 そしてこの頃、姉が世を去った。

 大学院修了後、教材開発の会社に就職。そこでもやりづらかった。同僚と毎日、顔を合わせてやっていくのが、しんどかった。チームプレー的に進めていく仕事は、自分には適さないと思った。

 先輩や上司は、「こんな人にはなりたくない」というひとばかり。会社は3年で退社した。

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