18系統の次のカットは、新庚申塚停留所付近で32系統(現荒川線)の軌道と平面交差する志村坂上行きの都電で、後方には18系統巣鴨車庫前行きも写っている。巣鴨車庫前行きの方向幕は「巣鴨」になっており、フルで「車庫前」までを表示すると判読し辛いので、割愛されていた。18・41・32の三系統が通った新庚申塚一帯は乗降・乗換客で賑わっており、商店や飲食店が軒を連ね、生活感溢れる街並みだった。
最後のカットが、新旧対比で訪れた新庚申塚交差点の現況だ。都電荒川線は盛業中だったが、国道17号線の地下を走る都電板橋線の後継である都営地下鉄三田線の西巣鴨駅とは約300m離れていることに加え、国道拡幅時のセットバックによる民家の移転と高層ビル化で、生活感が希薄な街に変貌していた。
次回は、都電で「最も短い距離」を走った系統を紹介する。
■撮影:1966年5月28日
◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。著書に「都電の消えた街」(大正出版)、「モノクロームの私鉄原風景」(交通新聞社)など。2019年11月に「モノクロームの軽便鉄道」をイカロス出版から上梓した。
※AERAオンライン限定記事