■吾妻橋の路面改修工事中、都電は単線運転
筆者は1964年に始まった吾妻橋路面改修工事の過程で、都電が単線運転を実施した貴重なシーンを記録している。次のカットが単線の仮線で隅田川を渡り、吾妻橋西詰の浅草停留所に到着した30系統上野広小路行きの都電だ。
浅草停留所は開業時吾妻橋西詰と呼称され、浅草に改称されたのは1944年だった。吾妻橋上の単線区間は、橋の東詰と西詰に写真に見られるようなトロリーコンタクターと信号機を設置して運転保安を計っていた。画面左隅に見られるように、橋板上のコンクリートやアスファルトを全て剥がし、橋梁の躯体も含めた改修工事が施工されていた。ちなみに、橋長150m、幅員20mの吾妻橋は3スパン・スチールソリッドリブタイドアーチ構造で架橋されている。
■浅草駅ビルに昔日の美しさ
このカットは吾妻橋交差点の南側から撮った浅草駅ビルの近景だ。右側の江戸通り(国道6号線)には1971年3月まで千住線(駒形二丁目~南千住)が敷設されており、22系統(南千住~新橋)の都電が走っていた。
浅草駅ビルは関東初の本格的な百貨店併設のターミナルビルとして1931年に開業している。東武伊勢崎線(現東武スカイツリーライン)がビルの2階の浅草雷門駅(現浅草駅)に乗入れ、地下1階から7階までは松屋浅草支店(現松屋浅草店)という、画期的な駅ビルとして東京の新名所になった。
東京大空襲で罹災して戦後に復興を重ねてきたが、1974年に施工された改修工事で外壁がカバー材で覆われてしまい、旧景に写る外観が失われてしまった。
2012年5月、「東京スカイツリー」の竣工にともない、同施設への玄関口にふさわしい駅として、竣工当時のネオ・ルネッサンス様式の外観を再現させるリニューアル工事が完成。フィンガーウインドーが連なる優雅な外壁面と時計塔が復活している。
■トロバスも走った浅草の街
最後のカットが浅草停留所から千住線をクロスして雷門に向かう24系統須田町行きの都電だ。