「その怒った母親は、そういった異動願いが出せないような職場なんでしょうか。母親が家に帰っても、疲れすぎて子供の食事も作れないような労働環境がよくないですよ。でも自分は悪くないといい張る態度からすると、もとからやりたくないんでしょう。そのような母親がいてもいいので、『私は料理が大嫌いなので、子供のためにといわれても作りません』と堂々といえばいいと思うんですけどね。自分でもよくないとは、うすうすわかっているんじゃないでしょうか。いい学校に入れたいとか、そのために働かなくちゃならないとか、どこか問題をすり替えているような気もするし。だいたい同じような環境で働いている人のなかにだって、子供のためにできるだけ御飯を作ろうと、努力している人もいるはずですよ。ひとり親でも子供のために御飯を作っている人はたくさんいるでしょうし。彼女が普通というわけじゃないと思いますけどね。自分がいちばんかわいくて、子供のためにでも、我慢するのはいやなんじゃないですか」

 そう私はいった。よく自分の言動を正当化するために、

「みんなもやってる」

 という人がいるが、みんなってどれくらいの人数? と聞くと返事ができない。小中学生みたいな幼稚な発想なのだ。

「そういう人は聞く耳を持たないのだから、放っておくしかないですね。反省するような事柄が起こらないとわからないでしょう。子供はとてもかわいそうだけど」

 知人は心優しい人なので、子供の体調を思いやって胸を痛めていた。そして母親の、自分はちゃんとやっているという考え方が、食事を与えないという虐待レベルとの比較なのが嘆かわしいといっていた。自分の行動を、子供に対する最悪の犯罪と比較するのは、どう考えても変だ。料理を作りたくない人のなかでいちばん問題なのが、経済的な理由でお惣菜も買えず、外食もできない親たちだそうだ。子供に食事を与える手段が、自分たちが作るしかないのが苦痛だという。しかしそれは我慢して作るしかない。小学校の四年生くらいになったら、子供にも手伝ってもらえばよい。長い人生の十年くらい、子供のために我慢できないのだろうか。料理を作らない日はあっても、スマホを見ない日はないだろう。その時間のうち、十五分だけでも子供のために使ってくれたらと思う。

※『一冊の本』2019年11月号掲載

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