写真家・大西みつぐさんの写真展「ひかりのまち 深川1980/2020」が8月5日から東京都江東区の深川江戸資料館で開催される。
縦横に運河の張り巡らされた東京・深川の街。
「川」と呼ばれる運河のほとんどは江戸時代に開削されたもので、米や塩、木材など多くの生活物資が運河の水運によってまかなわれ、江戸の人々の生活を支えていた。深川は古くから大小の船の行きかう水運の要衝であり、そこには下町の生活が広がっていた。
今回の展示作品は1980年代にタウン誌「深川」に連載されていた大西さんのフォトエッセイ「深川日和下駄」のモノクロ写真から始まる。
「ぼくは深川の出身なので、編集長が興味を持って、『大西さん、ちょっと写真を撮って載せてみない?』と声をかけてくれたのがきっかけです。当時、ぼくはまだ20代後半でしたが、自由にやらせてもらえたなあ、という印象があります」
深川を歩いて撮る、というと、どのへんのエリアだろうか?
「そんなに広くはないんです。地下鉄東西線の駅でいうと、東陽町、木場、門前仲町。南北では越中島、清澄白河、森下あたりです」
水運の中心・小名木川のほとりで生まれ育った大西さん
かつての深川区と城東区が合併し、江東区が誕生したのは1947(昭和22)年。その5年後、大西さんは「深川のいちばん隅っこ」にある深川高橋町(現・森下)で生まれた。南には水運の中心だった小名木川が流れ、北には都電の走る「電車通り」があり、それを渡ると墨田区だった。
大西さんは写真展の案内にこう書いている。
<労働者のみなさんが日々懸命に暮す街だったこともあり、その明け透けのない日常と人々の営みは記憶として自分の中に色濃く積み重ねられていった。写真家を目指したのもそこからだ>
作品の一枚には、タオルのねじり鉢巻きに地下足袋姿の木挽き職人が写っている。アスファルトの地面に腰を下ろし、手にしているのは「大鋸(おが)」と呼ばれる巨大なノコギリ。周囲にはうねった形をした幹まわり数メートルの丸太が無造作に置かれ、野外美術館のオブジェのようだ。
かつて、利根川や荒川の上流で切り出された木材はいかだに組まれ、川並衆によって深川の木場まで運ばれた。木場の貯木場は昭和から平成にかけて新木場へ移転。周辺には材木商の店が立ち並ぶ。
一方、雪の舞い落ちる水面にひっそりと屋形船がもやうのは越中島川の最奥にある船だまりを写した作品。この場所の「訓練橋」という地名は、幕末の黒船騒動のとき、幕府の砲術訓練所が設けられたことに由来する。
そんな歴史風情のある街並みを中判カメラを肩に撮り歩く一方で、「若い人のアートイベントが行われる、というニュースを見たら、野次馬のようにそこへ行ってぶらぶらして、いろいろな人と話をしながら写真を撮っていました」。