『生かさず、殺さず』久坂部羊著
朝日新聞出版より6月5日発売予定

 死なない人間はいない。

 その唯一にして単純な真理を主題とするのが医療小説だ。

 必ず死ぬのだからこそ、その前の生がどうであるかが問われなければならない。生のありようを制御することが可能なのは、あらゆる職業の中で医師だけなのである。

 久坂部羊『生かさず、殺さず』は、現役医師でもある作者が生と死の間に立つ者たちを描いた意欲作だ。主人公の三杉洋一は、かつては外科医を志していたが挫折し、大きな回り道をして医療の現場に戻って来た人物である。今は東京都世田谷区にある伍代記念病院の北棟五階、通称「にんにん病棟」で医長を務めている。

 そこは認知症患者のための病棟である。といっても専門治療を目的としているわけではなく、内科や外科など、いろいろな病気を抱えた認知症患者を集めるための場所なのだ。認知症患者には問題行動が多い。自分がなぜそこにいるのかわからない場合すらあるのだから当然だ。患者の対応に困った病院の、苦肉の策というわけである。

 作中でも書かれるとおり、事実は小説より奇なり、ではなくて「事実は小説よりキリがない」。よくもまあこんなことが起きるものだ、というような揉め事、事故が開巻早々から連続する。そのたびに三杉や、看護師長の大野江諒子をはじめとする面々はきりきり舞いさせられるのである。

彼らの日常に漂っているのであろう閉塞感が、どたばたの数々を通じて伝わってくる。
 久坂部の作家としてのデビュー作は2005年の『廃用身』(幻冬舎文庫)である。以来、時に露悪的に受け止められかねない表現も駆使しながら医療の現実を描き続けてきた。QOL(生活の質)という言葉がある。久坂部は最もこれに敏感な書き手だ。スパゲッティと言われる管だらけの状態になってまで生き続けるのは良いことなのか。長生きが一番というのは本当か。そういった問いを、作品を通じて絶えず読者につきつけてくる。

 本作では、認知症患者を巡るさまざまな人間関係が描かれる。家にいれば理屈の通らない暴君になる患者を一日でも長く病院に入れておきたい家族がいれば、症状が進んで人形のようになってしまっても親の延命治療を続けさせる子供もいる。医師である三杉は彼らに翻弄されるばかりなのである。お人好しと言っていいほどに誠実な性格の人物を主役に配したのは作者の計算だろう。医療の最前線という不条理な世界では、誠実な人間ほどひどく、そして長く苦しむ運命なのだ。

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