六本木J-WAVEのスタジオで「INNOVATION WORLD」収録(撮影/今村拓馬)
六本木J-WAVEのスタジオで「INNOVATION WORLD」収録(撮影/今村拓馬)

 20歳で上京すると、東京・下北沢のボロアパートに住み、制作資金を稼ぐため雑貨の販売や海の家、派遣バイトと手当たり次第バイトした。

「渋谷の路上で『誰もが主人公』みたいなポエムを書いたポストカードを売りながら、その場のノリでアダ名をつけるパフォーマンスもやってた。結構、盛況でファンもついた」

 なりたいのは映画監督だけ……なのに、映画に正面からぶつかるのも怖い。有名人や起業家になれば監督として映画を撮りやすいかも、と抜け道を探すうちに、カフェ開業に真剣に憧れるようになった。が、資金500万円がどうしても集まらず、焦っている時にネットビジネスの詐欺にひっかかった。見かねた鈴木やロックハウンドの仲間5人が上田に「目を覚ませ!」と直訴したが、うまくいくと信じ切っている上田は耳を貸さない。結局、ビジネスは破綻して、約150万円の借金を背負った。実家に戻って過労で倒れるまでバイト漬けになり、やっと借金の返済完了……のはずが、戻った東京ではさらなる試練が待っていた。

「165万円の費用で小説を自費出版しないか」という出版社の誘いを受け、ブログでベストセラー宣言をしたのだ。当時、上田はmixiやブログでテンション高めの文章を書き、ネットでプチ有名人だったこともあって、「素人が小説を書いて絶対、売れるわけない」「忠告を聞け」と、コメントが殺到した。「俺は夢を貫いてるだけ」と真っ向勝負したが、結果的には壮絶に売れ残った。再び借金が200万円に。

「ある晩、俺は一体何してるんだって号泣して涙が止まらなくなって。監督になるために上京したのに、残ったのは借金と売れない本だけ。映画に近道するのは全部、やめようと決心した」

 25歳の涙が大きな転換点になった。すべきことは映画制作だけ。痛感した上田は携帯電話の販売のバイトをしながら、2009年に自主映画団体「PANPOKOPINA」を立ち上げる。ここで撮った最初の長編が米と女性の胸、どっちが大切かを議論するシュールな「お米とおっぱい。」だ。この映画の出演俳優であり、カメ止めなど、上田の6作品で演じている俳優の山口友和(42)は言う。

「当時の上田くんは可愛い童顔で、映画に恋する中学生みたいだったから、こんなぶっ飛んだ脚本を書いて、自分の金で撮るなんてすげえと感動した。現場がピンチでもピリピリせず笑ってるし、チラシ配りから掃除まで率先してやっていた」

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