そこで事業戦略を改め、米国と同じように食品包装フィルムとして製造・販売を始めた。
「サランラップは60年に販売開始され、冷蔵庫の普及とともに一般家庭に浸透していきました。その後、70年代に入ると電子レンジで冷凍した食材を解凍・加熱する調理スタイルが徐々に定着し、販売数も向上しました。今ではキッチンにはなくてはならないものになったと思います」(関塚さん)
もう一つ、一般消費者にもなじみがあるのがヘーベルハウスだろう。
「50年代後半からナイロン、合成ゴム、建材の三つの事業を『三種の新規』と呼び、スタートさせました。その一つの建材事業から住宅分野へ参入し、発展したのがヘーベルハウスです」(同)
70年にヘーベルハウスは、第1号棟を東京・蒲田の展示場に建設。本格的に住宅事業をスタートさせた。しかしいざ始めたが既存の事業と異なる面が多いうえに、住宅メーカーとしてのノウハウを有しておらず、販売に苦戦した。そこで、住宅営業マンを育成するシステムを発足させ、市場のニーズに応じた住宅設計を行うための設計者を教育するプロジェクトをスタートするなど、着実に住宅分野で地固めをしていった。
このように旭化成は、さまざまな分野で事業を拡大してきた。旭化成の社風は自分がやるという意志や情熱を持ち、チャレンジ精神が旺盛なことから「野武士集団」と評されている。その言葉を証明するかのような人が2019年に「リチウムイオン電池の開発」でノーベル化学賞を受賞した名誉フェローの吉野彰さんである。吉野さんは「確かな目標と、たゆまぬ努力があれば未来に可能性が生まれます」と力強く語っている。
旭化成の“旭”は、レーヨンを創業した滋賀県の膳所に「旭将軍」木曽義仲の墓があることから、“化成”は「よい方向へ生成、変化、発展する」という意味で、中国の「易経」からつけたものだという。
今年100年を迎えた旭化成は、その名のとおり、さまざまな良いことを化合して、新たな社会を成していくことだろう。(本誌・鮎川哲也)
※週刊朝日 2022年7月8日号