早くも永田町は政権選択の選挙である衆議院選挙に向けて動き始めた。福山も枝野政権の一角を担うキーパーソンであることは間違いない。

 総理を狙う野心はないのですか? 福山に訊ねるとこんな答えが返ってきた。

「総理になりたいという野心はありませんが、官房長官なら引き受けたい。私は表よりも裏の仕事が似合っていると思います」

 そう言って押し黙った後、こうつけ加えた。

「けれども政治はやる人によって必ず変わります。誰がやっても同じではありません」

 桃栗3年、柿8年。気がつきゃ政治家21年。再び政権の座を取り戻す。人生のどん底を味わった男のまなざしは、どこまでも謙虚で温かい。

(文中敬称略)

■福山哲郎(ふくやま・てつろう)
1962年 東京都生まれ。町工場を営む両親の家に生まれる。
77年 高校1年の夏、父が経営する会社が倒産。自宅と会社が差し押さえられる。父は行方不明。傷心の母と小学1年の弟の手を引き、母の生まれ故郷の京都を目指す。
78年 京都府立嵯峨野高校に1年遅れで進学。自由な校風の中で、様々な境遇の同級生と出会う。学費は自弁。北野天満宮の奨学金制度に選ばれ、大学進学の道を選ぶ。
86年 同志社大学法学部法律学科卒業後、就職先に選んだのは大和証券。
90年 松下政経塾に第11期生として入塾。同期に自民党の衆院議員・小野寺五典がいる。後にスリランカの農村開発(サルボダヤ運動)に関わり、ノーベル平和賞候補とも言われるアリヤラトネと出会う。
92年 松下政経塾初の地域支部「京都政経塾」を設立し、塾頭に。その後、東京政経塾塾頭、政策調査室長を歴任。
96年 旧民主党公認で京都1区から衆院選に出馬。落選するも翌年、旧民主党の京都副代表に就任。地球温暖化防止京都会議に参加する。
98年 参院選に京都選挙区から立候補。トップ当選を果たす。その後、民主党に入党。若手の論客として注目を浴びる。
2004年 京都選挙区で2度目の当選。参院の環境委員理事を務め、気候変動問題に尽力する。その後、「地球温暖化対策基本法案」を取りまとめる。
10年 政権交代後の菅内閣で官房副長官をまかされる。京都選挙区で3度目の当選。その後、東日本大震災を経験する。当時の官房長官が衆院議員・枝野幸男だった。
14年 民主党政策調査会長に就任。安保法制特別委員会理事として、同法は違憲という立場で与党を厳しく追及する。
16年 民進党結党。幹事長代理に就任。京都選挙区で4度目の当選を果たす。
17年 立憲民主党結党、入党。幹事長に就任。
19年 結党後、初の参院選。幹事長として采配を振るう。

■中原一歩
1977年、佐賀県生まれ。ノンフィクションライター。本欄では、二階堂ふみ(女優)、奥田愛基(SEALDs創設メンバー)などを執筆。著書に『私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝』など。

AERA 2019年8月26日号

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