
字は体を表す。書家・仁科惠椒(けいしょう)は、福山は意外にも「繊細」な部分があると語る。
「横に座って指導をしているでしょ。あれこれ考えてしまって、最初のトン、がなかなか決まらない。まるで、自信がない子どものような神経質な面もある。けれども、自分は今、どんな線を書いていて、本当はどんな線を書きたいのか、しっかり自己分析できているんです」
そう評した上で、こう続けた。
「人並みはずれた集中力がある。書いて、書いて、指導している私が、もういいんじゃないと音をあげてもやめない。そこからグッと味わいのある、大胆で、いい線を書くようになる。その根気と底力がずば抜けているんです」
立憲民主党代表・枝野幸男(55)も、福山の根気と底力に助けられたと語る。民主党時代に遭遇した東日本大震災。官房長官として官邸を仕切り、連日連夜、矢面に立ち続けた枝野に対し、ツイッター上には「#枝野寝ろ」のハッシュタグがあふれた。
「その時、官房長官室で私を起こし続けたのが福山さんですよ。驚異的な底力に助けられました」
東京都大田区蒲田。父が経営する鉄鋼工場もこの町にあった。当時の自宅は工場の2階で、母との3人暮らし。福山が8歳の時、今は京都で役者をしている弟の俊郎(しゅんろう)が生まれて家族4人になった。
「とにかく無茶苦茶な親父でした。私が覚えているもっとも古い記憶は、酔っ払って、母に手をあげる父を止めようと、子どもの小さい体で父の膝にしがみついている記憶です。父は頭が良くインテリだったのですが、自分の才能をうまく生かしきれない人でした」
■『人間の運命』との出会いが政治家を志す道筋に
子どもの福山には日課があった。深夜、泥酔して帰宅する父を玄関まで迎えに行くのだ。お帰りなさい、と声をかけると、突然、「おまえには哲学がない」と言って殴られた。しばらくすると、父の部屋からまた呼ぶ声がした。恐る恐る覗きに行くと、父は意外にも布団の上で読書をしていた。そして、今度は「おまえは本を読まないのか」と怒鳴られ、また殴られた。父はただの飲んだくれではなかった。