忙しい合間を縫って地元で開催されていた書道展に足を運んだ。筆で字を書くことが好き。雅号は「哲堂」
忙しい合間を縫って地元で開催されていた書道展に足を運んだ。筆で字を書くことが好き。雅号は「哲堂」

「三島由紀夫が市ケ谷の自衛隊駐屯地で割腹自殺を遂げた時、こういう物事がちゃんと考えられる人間になれと言って、オイオイ泣くんです。勉強を強要されたことはありませんが、ただ、自分の頭で考えろと常々、言われました」

 中学生になった。福山はある一冊の本と運命的な出会いを果たす。小説家・芹沢光治良(こうじろう)の『人間の運命』。著者本人がモデルである次郎という名の少年の成長を通じて、近代日本と日本人の在り様を描いた大河小説だ。後に福山はこう回想している。

「芹沢先生が書かれたこの本との出会いがなければ、自らの運命を受け入れ、政治家を志すこともなかったと思います」

■着の身着のまま京都へ 住み込みで町工場で働く

 あの運命の日のことを福山は鮮明に覚えている。高1の夏のことだった。学校から帰ると、自宅と工場のある敷地の前で、呆然と立ち尽くし、空を見上げる母と弟の姿があった。

「とうとう来た」

 福山の顔を見た母が力なくつぶやいた。見ると、自宅の玄関に「差し押さえ」を意味する赤紙が貼り出されていた。裁判所による強制執行だった。よほどの借金があったのだろう。父が経営する町工場は、零細企業には違いなかったが、最盛期には数人の従業員が住み込みで働いていた。目黒にマンションを所有していたので、景気がいい時期もあったのだろう。けれども、実際は福山が中学生になる頃から、工場は火の車だった。無心をしなければならぬほど資金繰りが苦しくなっていたのだ。

 福山には思い当たる節があった。父に呼び出され、この人に電話して金を借りてこい、と頼まれたことがあったのだ。子どもが頼めば成功すると思ったのであろう。

「親父はどこに行った?」

 母に聞いても、弟に聞いても行方不明。行き場を失った3人は、なけなしの金を握りしめ、母の実家の京都へ向かう。この時福山は、通っていた高校の同級生にも別れを告げず、退学の手続きもせず、まさに着の身着のまま、夜逃げ同然に東京を後にした。

暮らしとモノ班 for promotion
なかなか始められない”英語”学習。まずは形から入るのもアリ!?
次のページ