京都選出の議員らしく、議員会館の自室に入るとプンッとお香の匂いがする。着物姿もよく似合う
京都選出の議員らしく、議員会館の自室に入るとプンッとお香の匂いがする。着物姿もよく似合う

 京都の人は、その度に理由を突きつめ、場合によっては、あっさり支持を取り消す人もいるという。けれども、福山の場合は、党利党略に迎合することがある半面、逆に自分の信念を貫く行動に打って出る場面があるという。

「まさに、機を見るに敏。民進党を飛び出し、立憲民主党の立ち上げに、いち早く参加したのも、まさにそんな局面でした」

 最近、俊郎は国会で活躍する兄の姿を見る度に、父が生きていたら何と言うだろうかと想像するという。京都に来てからも酒断ちはできず、枕元にはいつも一升瓶が転がっていた。兄と母が仕事に出かけている間、俊郎はもうひとつの父の素顔を垣間見ていた。

「父は寝間でずっと国会中継を見ていました。兄には哲学を持った男になれと哲郎と名付け、僕には、父が若い頃、物書きをしていた時代のペンネームをつけました。本当は誰よりも世の中のことを考え貢献したいと思っていたのかもしれません」

 父が亡くなったのは福山の最初の選挙の前だった。自宅で風呂に入っている時に倒れ、そのまま意識が戻らなかった。その日の前日。着物姿の父が福山の選挙事務所にひょっこり現れたという。家では酔っ払って騒ぎを起こすが、外面はひょうきんで人当たりもよかった。

「その日の晩、父が珍しく弱気になり、おれは哲郎の事務所で変なこと言わなかったか、迷惑をかけなかったかとしおらしいこと言ったんです。事務所を手伝っていた僕が、大丈夫やったよ、みんなお父さんが来てくれて喜んでいたよ、と返すと、ものすごく嬉しそうな顔をしました。それが最後の会話だったんです」

 俊郎によると晩年、父は政治家の登竜門と言われた松下政経塾に自分の息子が合格したことが自慢で仕方なかった。

「父はおめでたいことが大好きな伊達男で、ハレの日には羽織姿でかけつけます。それが目立つので家族としてはたまりません。もし生きていたら、兄が活躍する国会にきっと通っていましたよ。国会中継があれほど好きな人でしたから」

■総理になる野心はない 表より裏の仕事が似合う

 福山は、父は根っからの勝負師だったと振り返る。商売に行き詰まると、なけなしの金を握りしめて競馬場に出かける。あの日本ダービーで、29番人気の「5-5」のゾロ目馬券を2万円分買い、114万8千円を的中させたこともある。

「勝負事で勝つことにこだわってきた父でした。最初の私の選挙は負け戦ですから、ひょっとしたらそれを見たくなかったのかもしれません。飲んだくれで、競馬好きで、自分勝手でひどい親父でしたが、政治家となった今では、あらゆる意味で鍛えてもらって有り難かったと感謝しています」

 福山が書く、無駄なものがなく、それでいて、優しく、人を包み込むような字は、まさに福山の人生そのものだと、前出の仁科は言う。書いて、書いて、書き抜く根気と底力がなければ、このような字を書くことができない。これを書の世界では「骨力」と呼ぶ。それは、寛容と忍耐と努力の精神で近代化を成し遂げた日本人そのものである。

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