他者を応援する優しさや余裕のある社会を作りたい。全てを失った経験のある福山だからこそ実現したい政治がある。福山は根っからのリベラルなのである
他者を応援する優しさや余裕のある社会を作りたい。全てを失った経験のある福山だからこそ実現したい政治がある。福山は根っからのリベラルなのである

 京都では住み込みが許される町工場に身を寄せていた。冷蔵庫もなかったので、その日、食べる分の白米を炊いて3人で食べた。俊郎は、家族の精神的な支柱は兄だったと語る。

「兄は家族のピンチを何度も、体を張って救ってくれた。僕からするとヒーローで、全能の神みたいだった。暴れる父がいない生活は平穏でした。だから、父が帰ってくると知った時、また地獄が始まると身構える自分がいた。それでも、家族を路頭に迷わせた父を、兄は受け入れたのです」

 母と弟の面倒を見るために高校中退もやむなし、と覚悟を決めていた福山だったが、本当は勉強がしたかった。そんな時、父から「高校に行って学び直さないか」と言われた。母と弟とも相談し、福山は2度目の高校入試に臨み、合格する。

 福山の通った公立高校は、当時としては珍しい私服だった。自由な校風で、同じ境遇の貧乏な家の子や、学校のルールを破りバイクで通学する子、勉強ができなくて3留した子など様々。雑多な面白さがあり、負い目を感じたことは一度もなかった。ただ、東京弁を話す福山は、クラスで「江戸っ子」とからかわれた。

「高校時代の友人は、福山君は政治家になるんじゃないかと、思っていたと言うんですよ。確かに、学校と交渉して、自分たちで修学旅行の行き先を決めたり、学校のルールも教師が勝手に決めたものを押し付けるなと、校長や教頭に直談判したりしていましたね」(福山)

 しかし、学校が終わると生活費と学費を稼ぐためにがむしゃらに働いた。新聞配達を皮切りに、家庭教師、イベント会場設営、ゴルフ場のキャディーもやった。

 時代はテレビ黄金期。同世代の友人は、国民的人気番組「夕やけニャンニャン」「オレたちひょうきん族」などに夢中だったが、後にも先にも福山は一度も見たことがない。

 そんなある日、学問の神様「北野天満宮」が創設した、奨学金制度の初代奨学生に福山は選ばれる。これを機に念願の大学進学を志す。

 当時の福山を知る人物が、京都市左京区一乗寺にある狸谷山不動院貫主(たぬき だにさんふどういんかんす)・松田亮海(まつだ・りょうかい)だ。

「昔の言葉で言うところの苦学生だったのですが、微塵(みじん)も暗さを感じさせないのです。野球が大好きで、いつも全力フルスイング。何より国語力に突出していました。本だけはバイトの合間に読んでいたようです」

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