本書の正成は、敗者の怨念が生み出す世直しのパワーや、国際情勢の変化が日本の政局にもたらす影響などを的確に読み、倒幕運動に加わる。歴史的な事件を“点”で見るのではなく、過去に起きた事件の積み重なりや外交関係などが織り成す“線”ととらえ、いままでの南北朝ものとは一線を画すスケールの大きな物語を作ったのは、政治だけでなく、思想、経済、文化などが歴史に与えた影響を追究し続けた葉室さんにしか成し得なかったといえる。
後醍醐天皇が挙兵すると、これに呼応した正成は赤坂城に籠城し、笠置山の戦いで敗れた天皇が幕府に捕えられた後も徹底抗戦を続ける。そして隠岐島に流罪になっていた天皇が密かに脱出すると、正成は千早城に入り幕府軍と対峙する。前線の随所に隠したトラップや地の利を活かしたゲリラ戦で、二度にわたって幕府の大軍を翻弄する正成の活躍は痛快で、圧倒的なスペクタクルが楽しめる。
葉室さんは、『散り椿』や直木賞受賞作『蜩(ひぐらし)ノ記』などで、達人同士が剣を交える迫真の剣戟を何度も描いた。その一方で、戦国ものが主軸でなかったこともあり、大軍がぶつかる戦闘シーンは少なかった。ただ本書を読むと、葉室さんが合戦を書いても一流だったことが実感できるはずだ。
本書は鎌倉幕府が倒れるも、論功行賞への不満から、足利尊氏派と後醍醐天皇・正成派の対立が深まるところで幕を降ろしている。だが、為政者が徳によって治める国を作るとの「夢」を持ちながら、その「夢」を絶対視せず、常によりよく修正しようとする正成に触れると、テーマの一端がうかがえる。後醍醐天皇が魅了されたように、国の形を大胆に変える「夢」には甘美な響きがある。ただ、その「夢」に内実がともなっていないこともあれば、改革によって国民が抑圧される社会ができることもある。多くの情報を集め、それを合理的に判断して進むべき道を決めている正成には、為政者がささやく甘い言葉を鵜呑みにするのではなく、自分で考え本質を見抜いて欲しいという葉室さんのメッセージが込められているように思えてならない。
朝日新聞出版から11月7日に発売予定