2017年12月23日に葉室麟さんが急逝されて、早くも二年近くになった。亡くなった後も、『玄鳥さりて』『雨と詩人と落花と』『青嵐の坂』などが続々と刊行されたのは、ハイペースで高いクオリティの作品を発表されていた葉室さんらしいといえる。だが残念なことに、葉室さんの新作小説が読めるのは、楠木正成を軸に南北朝の騒乱を描くも未完に終わった『星と龍』が最後となる。
葉室さんの歴史時代小説は、古代から近代まで幅広い時代を舞台にしていた。ただ晩年は『大獄 西郷青嵐賦』、松平春嶽の生涯を追った『天翔ける』、星りょう(後の相馬黒光)を描いた『蝶のゆくへ』、明治の外交官・陸奥宗光に着目した『暁天の星』(未完)など幕末から明治に力を注いでいる。実は南北朝時代は、幕末維新と関係が深い。江戸幕府を倒し天皇中心の新国家を作った勤皇の志士は、自分たちの偉業を鎌倉幕府を倒して天皇が親政を行った後醍醐天皇の時代に重ねていた。また後醍醐天皇の忠臣だった正成は、国民教化の規範とされ、自刃前に残したとされる「七度生まれ変わって朝敵を滅ぼす」は、太平洋戦争中に「七生報国」として戦時スローガンにからめとられている。
南北朝を理想とする明治政府は、国家や組織に忠誠を誓って滅私奉公をする国民を求め、弱肉強食の競争原理を使って国を発展させる道を選んだ。その延長線上に、社員の忠誠心を食いものにするブラック企業が横行し、格差の広がりが閉塞感を生んでいる現代の日本があることを踏まえるなら、幕末維新と並行して南北朝ものを書いた葉室さんの中には、正成を忠臣の軛(くびき)から解き放ち、南北朝の歴史を読み替えることで、原点に遡って日本の現状と日本人のメンタリティを問い直す意図があったのではないだろうか。
近年の歴史研究では、正成は武力で荘園を強奪したり、物流を支配したりしている悪党であり、忠義のためではなく楠木一族の利益のために後醍醐天皇に味方したとの解釈が定説になっている。本書でも、正成は悪党とされているが、ただ単に利益のために動いたとはされていないのだ。
鎌倉幕府は、宋との交易などで莫大な富を蓄え、強固な政権基盤を築いた平家を滅ぼした源氏が樹立した武家政権だったが、三代将軍の源実朝が暗殺されてからは、平家の北条得宗家が実権を掌握していた。そのため幕府の有力御家人で源氏の足利高氏(後の尊氏)、名門ながら閑職にあった新田義貞などは不満を募らせていた。この時期は、南宋の朱熹が儒教を再構築した朱子学が日本に伝わり、後醍醐天皇や正成は、天子が徳によって国を治める「王道の世」にするため、幕府が武力で作った「覇道の世」を打ち破るという朱子学の教えを倒幕の大義名分にしている。