(撮影/写真部・小山幸佑)
(撮影/写真部・小山幸佑)

 ちょっと特殊な例かもしれませんが、芸能界のママ友からはベビーシッター代が家賃を超えたとか、お受験に向けて3歳から月20万円かけてバイオリンを習わせているなどと聞いていました。もちろん、そういう選択も素晴らしいし、子どもの将来のために頑張っているお母さんたちって本当に尊敬します。でも私は、高校で福岡に行ったときに「有料道路って何?」って初めて知ったぐらい結構な田舎で育ったこともあり、地方でのびのび子育てをしている方が向いているのかなと感じていたんです。

――もともと上京したのは、仕事のためだったんですか?

 芸能コースがある高校に行ったのをきっかけに芸能の仕事がしたいと思うようになり、先生方やいろんな出会いがあり、いまの事務所に入ることになりました。せっかく芸能界に入るなら東京に行ってみたいと思って上京を決め、親や友達には事後報告でしたね。

――その約1年後には「クイズ!ヘキサゴンII」に出演し、20歳でブレイク。トントン拍子でした。

 今考えると、運と時代とがちょうどマッチしていて、本当に良かったなと思います。番組が放送されるたびに道で声をかけられるようになり、当時は周りの変化するスピードについていけなくて。1、2年は睡眠時間が1日2~3時間、瞬きしたら次の場所に行っている感じでしたし、まだ若かったのもあって自分が何をしているかわからなかったですね。

 でも、そのころ芸能の先輩たちや同期にすごく良くしてもらって、「いつかこの状態は終わるから、次はどうする?」とアドバイスしてもらいました。落ち着いたときに何をするかは自分次第だよ、だからこそ何をしたいか考えなきゃって。

 そのころから結婚して子どもがほしいというのは夢だったし、お洋服やアクセサリー、インテリアも好きだなと思っていました。子育て中も私服の写真をアップしたり、今の家に引っ越すときにリノベーションの過程をSNSに載せたりしていたら、それを見てくれたアパレル会社さんや地元のハウスメーカーさんから声をかけもらい、商品をコラボさせてもらっています。

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SNS広がり地方でも仕事増「運が良かった」