「麗しき名列車」と題した当連載も形を変えつつ、通算94回を迎えた。一口に列車といっても、普通列車の多くは列車番号、つまり数字とアルファベットの組み合わせのみだが、急行や特急など優等列車には愛称が付記される。
【エンジ色の車体に夏みかんの花とハマユウをあしらった2号車はこちら】
1929(昭和4)年、国鉄で初めて愛称が与えられた列車は、東京─下関間を走る特急「富士」と「櫻」で、翌30年には「燕」が登場した。以来、今日まで列車の愛称といえば、花鳥風月が一般的だったのだが、最近、驚くべき愛称の列車が増えている。山陰本線の快速「◯◯のはなし」もその一つ。そのままクイズになるような列車名だが、いったい、どんな「はなし」があるのだろう?
調べてみれば、この「はなし」は、ストーリーの意味ではなく、山口県の萩(は)、長門(な)、下関(し)を結ぶ列車とのこと。なるほど、そういう「はなし」だったのかと膝をたたき、明治維新の人傑を多数輩出した城下町、萩に向かった。
明治維新の長州といえば、吉田松陰、伊藤博文、木戸孝允らを思い出すが、こと鉄道界では初代鉄道頭(長官)の井上勝が萩出身で、萩駅前にはスコップを手にする「井上勝志気像」が立つ。いまや世界屈指の鉄道国となった日本の「鉄道の父」なのだ。
14時13分、快速「◯◯のはなし」は東萩駅を発車した。列車は国鉄時代の昭和50年代に製造されたキハ47形ディーゼルカーを改造した2両編成で、1号車は緑色の外観で、座席や足置きなどに畳をあしらった和風のインテリア。一方、赤い車体の2号車は赤革シートにれんが模様の壁面など洋風のイメージである。デザインのコンセプトは、「西洋に憧れた日本(洋)と、西洋が憧れる日本(和)」。本州西端の山口県(萩、長門、下関)は、日本と西洋を引き合わせるきっかけとなった歴史が息づくことに由来するとのこと。