リーファーには日本の女の子の好きな世界観が詰まっていたと思うし、お店に来てくれるお客さんはファッション誌のカバーガールをやっていた“モデル梨花”の結晶みたいな、キュンキュンするものを求めていた。でも、自分自身は男の子を育てながら、ガーリーな格好はできなくなっていて。

 2年目にシンプル宣言を出したり、いろいろ(方向転換を)やってみたの。でも、リーファーという母体にかなわない(笑)。もちろん自分たちで創り出したものなんだけどね。

代官山店の閉店当日、ファンに向けて、7年間の感謝の思いを語った(メゾンドリーファー提供)
代官山店の閉店当日、ファンに向けて、7年間の感謝の思いを語った(メゾンドリーファー提供)

――そうだったんですか。世間の求めるものと自分自身がずれていった、と。

 雑誌の表紙やブランドのビジュアルで今の自分を表現しても「最近は笑ってくれない」とか「前の方が可愛い~」「スカートは履かないの?」みたいな声もあったりして。リーファーに、ここ最近の志向を入れ込んでも、ときに邪魔しちゃうだけだったり、良い化学反応になってくれてはいないなと感じていました。

 リーファーに求められているものや、これから何を作っていったらいいかは理解できているんだけど……、私はやっぱり、ビジネスマンではなかったんだと思う。

――実業家としての手腕が注目されることは度々ありました。

 自分ではそんなつもりはなかったんだけど、テレビに出なくなってから、よく「実業家になるんですか?」と聞かれました。でも、そうではなくて、私が表現したいのは“今の自分”だったんですよね。リーファーも、モデル梨花がアパレルをプロデュースするとこうなる、という一つの表現だったから。

――決断が潔いですね。そういえば、2011年からバラエティー番組に出なくなった時も、スパッとでした。

 そうなの。バラエティーに出ていた時は、実はずっと妊活していてうまくいっていなくて、何かを変えなきゃいけないと思っての選択だったけど、あの時だってちょこちょこテレビに出ながらでもよくない?って思うよね(笑)。

 でも結局、私はそういう決断をしちゃうし、それが良い方向に動いているなとも思うんです。

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「不安になることも」それでもワクワクする理由