Jリーグ1部(J1)で初優勝し喜ぶサンフレッチェ広島監督時代の森保監督=2012年
Jリーグ1部(J1)で初優勝し喜ぶサンフレッチェ広島監督時代の森保監督=2012年

■過去への感謝と選手への敬意

――過去をリスペクトするという意味では、11月22日、初戦のドイツ戦を前にした公式会見で森保監督が「日本サッカーの父」デットマール・クラマーさんの名前を挙げドイツのサッカー関係者への感謝の念を語ったことも印象深い。

 Jリーグが開幕してからは、外国からいろんな監督を呼ぶことができるようになりましたが、技術委員会と協会トップの意向の齟齬(そご)もあり、選考基準が定まらず日本サッカーがどこにいくのかビジョンが見えなかった。そんな中、残念ながら道半ばで倒れられましたが、イビツァ・オシムさんが「日本サッカーを日本化する」というテーマを掲げました。

 森保監督はサンフレッチェ広島監督として6年間で3度のリーグ優勝を果たすという大きな実績の上での代表監督就任でしたが、海外経験はない。Jリーグで生まれ育った監督がJリーグで結果を出し監督に就任した。模倣ではなく、Jのオリジナルという意味ではオシムさんの「日本化」の答えの中のひとつかなとも思いました。

――森保監督は1968年、静岡県掛川市生まれ。長崎日大高校から、広島のマツダSCに入団するが、2年間は日本リーグ2部でも公式戦に一度も出場できなかった。そんな中でも自分の強みを磨いていき、徐々に守備的MFとしての地位を確立。当時のハンス・オフト監督に見いだされて92年に日本代表に初選出される。93年には残りワンプレーでW杯出場を逃した「ドーハの悲劇」をピッチ上で経験。そういった自身の選手人生から、目立たない選手への目配りやケアを忘れないと言われている。

 選手とのコミュニケーションをとても大事にしていて、海外でプレーしている今の選手たちから学びたいとナチュラルに言える人です。選手へのリスペクトがあり、個別面談で彼らの意見をくみ取り、自分の戦術に落とし込んでいく。サンフレッチェ広島監督時代はうつ病に苦しむ選手と早出して2人きりでジョギングしたりと、選手のことを一番に考える。だからあのようにチームが一つになれたのだと思います。

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