眼前には迂回運転のための双方向分岐器が設置を待っていた。画面左に曲がるのが9系統で、右に曲がるのが10系統になる。どちらも外苑東通りを走る信濃町線に合流することになる。

 現場の様子を垣間見ると移設作業はスローモーで、あと一週間で完成するのか懐疑的になった。作業スタッフに進捗具合を尋ねると、「路面交通を規制する深夜の時間帯が作業の中心になるから、工程通りに間に合います!」という自信に満ちた答えが返ってきたのを覚えている。

 スタッフが予測したように1963年10月1日の未明、青山一丁目交差点を横切る信濃町線に青山線からの迂回軌道が接続された。9・10両系統は、この日の初電から二度と青山一丁目~三宅坂の青山通りを走ることはなかった。

■撮影:1963年9月24日

◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)などがあり、2018年12月に「モノクロームの私鉄原風景」(交通新聞社)を上梓した。

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