エミンさんが塾頭を務める複眼経済塾にあった畳のエリアでメインカットを撮った(撮影/写真映像部・加藤夏子)
エミンさんが塾頭を務める複眼経済塾にあった畳のエリアでメインカットを撮った(撮影/写真映像部・加藤夏子)

「生物学は好きだが、自分は実験には向いていないのではないか、と悩みました」

 数学や物理学は、突き詰めると紙と鉛筆があればできる。生物学の場合、実験抜きでは研究が成り立たない。

「私は手先が器用じゃないの。あと、動物実験で生き物を殺すのがかわいそう」

 そこで経済に活路を見いだす。

「経済は生き物に似ています。多様な人々の損得や感情、欲、経済指標などをのみ込んで毎日動いている。100%、数字や理論に基づいて動くような合理的なものでもないし。でも100%、感情で変化するわけでもない。経済と生物学は似ていて、とてもエキサイティングな分野だな、と」

 就職先は証券最大手だった野村證券。2006年に入社して最初に配属されたのは企業情報部だった。M&A(企業の合併・買収)に関わる投資銀行部門と呼ばれる部署で、当時の金融界の稼ぎ頭である。この部署で3年働き、機関投資家営業部に異動した。顧客は銀行や年金基金や投資ファンドなど。1カ月の手数料だけで数十億円にもなる超大口投資家を相手にする、証券会社の花形ポジションだ。

 あるとき、エミンさんは立ち止まって考えた。このままでいいのか、と。

「今の自分は証券業界の先頭で、一番いいところを経験してしまった。やり尽くした感があった。そろそろ、自分が本当にやりたいことを自由にやりたいな」

 行動は早い。8年半近くいた野村證券を未練なく去った。

「会社を辞めたとき、私より先に退職していた機関投資家営業部の元上司から食事の誘いがありました。そこで新しいフィールドに飛び出したい自分の思いを話すと、意気投合。複眼経済塾を立ち上げました」

 エミンさんの背中を押した元上司は渡部清二さん。複眼経済塾ではエミンさんが塾頭、渡部さんが塾長という肩書を持ち、互いに活躍している。

 塾生は約1200人。トレードの手法や有望銘柄を教えるだけの投資スクールは多いが、複眼経済塾はちょっと違う。

「私たちは講師と塾生、塾生同士の会話やつながりを大切にします。『経済を勉強しながら楽しもう』がモットーです。塾生との全国ツアーもしています。

 たとえば東洋一といわれた愛媛県の別子銅山から銅を輸出し、資本を作り、群馬県の富岡製糸場ができて日本の近代化が進んだ。茨城県の日立鉱山の電気・機械部門が分社化して、世界的な電機大手の日立製作所に育った。

そういう流れを理解しないと、今の日本がどんな経済構造や文化の上に成り立ち、これからどこへ向かうのかが見えません」

 エミンさんの現在の「推し」は日本株だ。

「そもそも日本という国は自然が豊かで、人々は丁寧でやさしい。他国に比べて安全に暮らせて、やる気さえあれば自分のやりたいことができる。最高にいい国です」

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