恨み節はこころに突き刺さるはずなのに、森は息子が遠慮なく吐露してくれることがうれしくてたまらない。苦しみを吐き出せずに逝った啓祐のぶんも、正直に生きてほしいと願う。

 そして「悲しみに出合ったことで、以前よりも強くなれた」とも感じている。

 みなとで、大切な人を亡くした子ども向けのグリーフサポートをともに立ち上げるファシリテーターの村上順子(56)は「行動力がすごいし、人に訴える力を持っている」と信頼を寄せる。

 三男より少し前に森と再会した迫田は言う。

「いじめ自殺事件の被害者遺族たちは裁判で良い結果が得られると、終了後に落ち込み、連絡がとれなくなる。再会できたのは今のところ彼女だけ。輝くような素敵な女性になっていた。ただ、当時から傾聴したり、話す能力があった」

 時に悲しみは、人に生き直すきっかけや、輝きを与える。母の輝きを誰より喜んでいるのは、天国にいる彼に違いない。(文中敬称略)

■森美加(もり・みか)
1970年/福岡県田川市出身。2歳で父と死別。看護師の母に育てられる。中学、高校でバレーボールに打ち込む。
89年/高校卒業後、病院の事務職員に。知人の紹介で出会った近隣の町に住む男性と20歳で結婚
92年/22歳で長男啓祐を出産。続けて次男、三男をもうける。夫、森ともにバレー選手だった影響もあり、子どもたち全員が小学生からバレーを開始。当番や送迎などもあり、仕事、家事、育児と忙しく過ごす。
2004年/母が肝硬変で死去。
06年/啓祐を亡くす。
07年/週刊誌が実名報道。弁護士の迫田登紀子らは抗議のファクスを何度も流したが発売されたため、実名公表に踏み切る。日本弁護士連合会と抗議声明を出す。
08年/『啓祐、君を忘れないーいじめ自殺の根絶を求めて』を上梓。
11年離婚が成立し上京。社会福祉士専門学校に通った後、葛飾区にある地域包括支援センターでケアマネジャーとして勤務。「次男、三男とは生きていれば会える。2人が私を捜すかもしれない」と旧姓に戻さず生きることを選ぶ。
12年/大津市中2いじめ自殺事件発覚。
13年/「いじめ防止対策推進法」が成立・施行される。「大津がきっかけではあるが、考え方そのものは啓祐君の事件がベース」(迫田)
16年/世田谷一家殺人事件の遺族である入江杏と出会う。同年秋に「グリーフサポートせたがや」でファシリテーター養成講座を受け、サポート活動を開始する。
17年/1月に「暮らしのグリーフサポートみなと」を開設。啓祐を亡くした直後からつながりのあった「ジェントルハートプロジェクト」でいじめ問題に取り組む。自死遺族の相談にのる。九州で起きたいじめ自殺事件を一手に担う弁護士の迫田に自ら連絡をとり再会する。
18年/三男と7年ぶりに再会。介護福祉やカウンセリングを行う(株)グリーンビレッジを設立。代表取締役に就任する。

■島沢優子
『桜宮高校バスケット部体罰事件の真実 そして少年は死ぬことに決めた』(朝日新聞出版)など著書多数。本欄で「人身取引被害者サポートセンターライトハウス代表・藤原志帆子」など執筆。

※AERA 2019年3月11日号

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