「帰り道、自転車をこぎながら、この気持ちは何だろうって考えた。この悲しみをどうしたらいいんだろう?と」
啓祐の事件の成果はあった。だが、そこから取り残されたような感覚、心の澱のようなものを森はずっと抱えたままだった。
●親権放棄した三男から「産んでくれてありがとう」
すぐに「悲しみ、遺族」などと検索、ひとりの女性の名前が目に飛び込んできた。
入江杏。
平成最大の未解決事件といわれる「世田谷一家殺人事件」で亡くなった宮澤泰子(41=当時)の実の姉だった。事件が起きた00年当時、入江は泰子一家4人の住居の隣に住んでいた。
森は入江が催す東京都港区でのイベントに参加。これまでのことを打ち明けた。
「逃げていいのよ。私も世田谷から港区に逃げてきたの」
福岡から逃げるように上京してきた自分に、初めて共感してくれた人だった。
「私も美加さんと同じだよ。遺族としてふるまわなくてはならぬ感。それに抗っているの」
多くの共通点を挙げて森の心をほぐしてくれた。この入江からグリーフサポートの存在を聞き、「みなと」を開設するきっかけとなった。啓祐を失って10年が過ぎていた。
孤立、逃避、入江との邂逅。いじめ自死遺族の喪失から再生の物語は、母と子のもつれた糸をほぐすところまできた。
「いまどきの子はSNSをするはず」
次男はやっていなかったが、高校でバレーボールを続けた三男だけツイッターをやっていた。ハンドルネーム「パンダ」でフォローした。
フォロー通知を受けた三男から「誰?」とメールで尋ねられたが「さあ、誰でしょう」ととぼけた。正体は明かせない。試合の予定も近況もすべてツイッターで知った。隠れて試合を観に行った。
その後、周囲の配慮によって三男はパンダを母と知る。昨年、「就職決まった。産んでくれてありがとう」とメールがきた。
森は号泣した。
昨夏。7年ぶりに会った三男の言葉にこころが震えた。
「俺は大切な人(美加)をなくした。でも、大切な人を大切にしないといけないことを学んだ。あの状態でさ、仕事して、家のことやって、俺ら育てて、大変やったやろ。ありがとな」
「身内で、初めて私のグリーフを理解してくれた」
三男は、大学進学とともに家を出たことで「母親の苦しみを理解できた」と明かす。
「ごはん作って、掃除して、家事だけでも大変じゃないですか。僕らを捨てたお母さんだけど、今は受け入れられます」
●三男からの恨み節にもうれしくてたまらない
受容できるのは、彼自身が持つ自尊感情と、今の彼が幸せだからだろう。森は「(育ててくれた)夫に感謝です」と涙をぬぐった。
「参観日とかさ、いてほしいときにいなかった。めっちゃ恨んでるで。ほんまに!」