これはどうなんだろうと、かすかに不安を感じながら本文を読み始める。すると冒頭から、かつてマンハッタン島の南端にあった池の様子と、それが埋め立てられるに至った経緯、その後の街の変化が生き生きとした筆致で綴られていて、いきなり引き込まれた。次に、結婚しようかどうか悩むダーウィン、転職を迷う友人にベンジャミン・フランクリンが書き送った助言が続く。そして本書の中心的事例とも言える、アルカイダの指導者ウサマ・ビン・ラディンの捕獲作戦だ。彼の殺害については見事に成功した結果ばかりが注目されがちだが、そのきっかけは一人の諜報員がパキスタンの市部に怪しい屋敷を見つけたことであり、そのあと慎重な熟慮熟考を重ねる意思決定プロセスがあったという。ほかにも、独立戦争でニューヨークをイギリス艦隊の攻撃から守ろうとしたジョージ・ワシントンの失策、天気予報の誕生につながった大嵐による難破船の惨事、廃線になった高架鉄道を公園にする都市計画、地球外の知的生命体にメッセージを発信するべきかどうかなど、さまざまな分野の「決断」にまつわる具体的なエピソードはどれも面白い。さすがはスティーブン・ジョンソンだ。
もちろん、ただ逸話が続くだけではない。状況の全体像をマッピングして選択肢を明らかにし、将来どうなるかを予測し、最終的に決定を下すというプロセスについて、どうすべきか筋道を立てて解説していて、科学的な実験や調査の結果も随所に織り交ぜられている。政治学教授が行なった、「専門家」による長期的な将来予測の実験は興味深い。専門家の大半はダーツを投げるチンパンジーと大差なかったのだ。それでもある程度正しく予測できたのは、頭が柔らかく素直に誤りを認める人だった。いくら知識があっても、視野の狭い頑固者は決断に失敗するらしい。
この本のとりわけ異色なところは、文学の重要性を強調している点だろう。軍事作戦を立案するときにはあらゆる状況を想定して演習を行なう。科学的予測ではコンピューターで大量のデータを計算する。しかし私たち個人が人生を左右する重大な決断を迫られるとき、そんなシミュレーションはできない。そういうときのために役立つのが、写実小説を読むことだとジョンソンはいう。いくつもの人生をシミュレーションし、大切な意思決定をするプロセスを練習できる。その例として、英文学を代表する作家ジョージ・エリオットの『ミドルマーチ』を取り上げ、登場人物が大事な決断について思い悩むときの内面描写をたっぷり引用している。それにしても、ジョンソンが大学院で英文学を研究していたとは知らなかった。その守備範囲の広さには脱帽だ。