昭和40年3月の路線図。日本橋界隈(資料提供/東京都交通局)
昭和40年3月の路線図。日本橋界隈(資料提供/東京都交通局)

 ちなみに、東京市電の最盛期だった1936年10月には五系統の市電が日本橋を賑わせていた。1系統(品川駅前~浅草)、19系統(飛鳥山~新橋駅北口)、21系統(神明町車庫前~芝橋)、24系統(南千住~新橋駅北口)、25系統(柳島~大門)と多士済々だった。

 橋上を賑わせている自動車群もオールドスタイルだ。左手前から「トヨペットクラウン」と「日野ルノー」、その奥に「マツダキャロル」と「プリンスグロリア」が写っている。右側に視線を転ずると「トヨエース」を先頭に「マツダD1500」、その右隣に「ニッサンセドリック」のタクシーが見られる。

首都高速道路の地下化のイメージ図(提供/小沢設計計画室)
首都高速道路の地下化のイメージ図(提供/小沢設計計画室)

■日本橋の上に青空が戻る…

 日本橋の上空から首都高速道路を除去する運動が、市民団体を中心にして既に半世紀以上前から始められていた。具体的な解決案を示すイラストやジオラマも提案されてきた。しかしながら、高速道路の地下移転にはかなり高度な行政上の懸案があり、移転案の策定は遅滞した。現在、2020年の「東京オリンピック・パラリンピック」終了後の地下移転着工を目指して、国土交通省・東京都・首都高速道路・中央区のメンバーで移転案の検討が始動している。移転事業が決定・実現されるのは、これから10~20年先としているようだ。

「1964年・東京オリンピック」の高速道路網整備で、日本橋の上空に高速道路橋が架かった時代を回顧すると、ほとんどの都民がオリンピック開催に間に合わせるための「必要悪」として、変貌してしまった日本橋の景観を否定し得なかった。

 東京を代表するランドマークである「日本橋」の上空に青空が戻るかもしれない。その時、橋上に復元される道路元標とともに、LRTによる新世紀にふさわしい路面電車が走ってくれることを待望している。

■撮影:1965年2月11日

◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)などがあり、2018年12月に「モノクロームの私鉄原風景」(交通新聞社)を上梓した。

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