井笠鉄道・神辺線は炎天下のロケだった。田舎には自動販売機など皆無だった当時のこと、飲み水をもらうために近隣の農家にお邪魔すると、「今朝もいだばかりのトマトが冷えているから」と、完熟トマトをごちそうになったおいしい思い出もある。
■訪問の度にお世話に。運転士さんとの縁
静岡鉄道・駿遠線では、新藤枝から袋井まで60余キロ「軽便大旅行」の記憶が鮮やかに残っている。
1964(昭和39)3月25日、営業距離64キロを誇る「日本一の軽便鉄道」、静岡鉄道・駿遠線新藤枝の駅頭は春雨に煙っていた。そのまま降雨の沿線を撮り歩くわけにもいかず、夕方までの時間を有効に活用する手立てを案じていた。新藤枝から袋井に直通する列車は一日4本しかないのだが、昼の直通列車で袋井に向かえば天候にかかわらず、残り時間を有効に使えるのではないか、と判断した。
そんなわけで、新藤枝発12時16分の袋井行き直通列車に乗車し、運転台わきのシートに陣取ると発車のベルが鳴った。眼鏡をかけた温厚そうな運転士が見事なクラッチとアクセルさばきで列車を発車させた。好奇心旺盛な学生服姿の筆者を見ると「どこから来たの?」と親しげに声をかけてくれた。運転中に蒸気機関車時代からの昔話を延々と語ってくれた運転士さんが、駿遠線訪問の度にお世話になった中村学さんだった。
木製橋脚の大井川橋梁をノロノロ渡る頃から、懸念していた雨もやんできた。浜岡町駅を13時45分に発車。国安川を渡るころには遠州灘が遠望され、駿河の国から遠江の国にやってきた実感が湧いてくる。車中からのスナップ撮影に疲れを感じたころ、新三俣駅に到着。14時6分の発車までホームを散策するが、くだんの中村運転士は気動車のラジエーターに給水を始めた。今では考えられない光景だが、当時のエンジンは誠にプリミティブなものだった。筆者が乗ったキハD8は、31年の日本車輌製の古豪だが、快適な車内と乗り心地だ。柳原を過ぎると建設中の東海道新幹線の築堤が見えてきた。そこをアンダーパスして、砂利道に沿った鉄路をラストスパート。定刻の14時50分、春の日差しがあふれる袋井駅に到着した。