鉄道写真家の諸河久さんが、地方の村と国鉄の駅とをつなぐ狭軌鉄道(軽便鉄道)の存在を知ったのは小学生の頃。国鉄車両よりも二回りも小さい列車が走る姿にみせられた。高校に進学してから、軽便鉄道の写真撮影にのめり込んでいく。そこには沿線の人々や鉄道員との得難い交流があった。今回の諸河さんの連載は特別編として、「アサヒカメラ」2月号に掲載された「軽便鉄道」を紹介する。
【諸河久さんが撮影した貴重な「軽便鉄道」の写真(計8枚)はこちら】
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小学校高学年の筆者が所有していたカメラは、写真好きの叔母に買ってもらったボルタ判(24×24ミリ)の「マミヤ・マミー」だった。
当初は鉄道模型製作のための参考写真の撮影が目的であったが、地元の都電や東京、上野駅頭の国鉄列車などを被写体にするようになった。目測距離計とフィルムの箱に書いてある露出値を目安にした撮影では、結果は知れている。フィルムを現像に出すと6割方はピンボケか露出不足で気落ちした記憶が残っている。その頃、図書館で閲覧した鉄道雑誌の私鉄特集記事に各地で働く「軽便鉄道」の詳細が掲載されていた。国鉄列車よりも二回りも小さい軽便列車に親しみを感じ、地方の難読な駅名を辞書で調べたりするうちに「上級学校に進学したら軽便を訪問してカメラで記録したい」という気持ちが募ってきた。
中学時代は受験勉強で、鉄道写真は開店休業の状態だったが、35ミリ判の距離計連動カメラ「フジカ35SE」を購入した。レンズはフジノン45ミリF1.9で、露出計連動システムを採用していた。初心者用35ミリ判カメラとしては優れものであったが、眼鏡をかけた筆者には、レンジファインダーのパララックスの誤差に腐心することがあり、当時台頭しだした一眼レフ普及機を渇望した。
高校に進学し、親に無理を言って待望の一眼レフカメラを入手する。前年にモデルチェンジされた「アサヒペンタックスSV」が学生時代の愛機となった。欲しかった交換レンズも、夏休みのアルバイトの成果を注ぎ込んで、プリセット絞りのタクマー200ミリF3.5望遠レンズを手に入れた