日本に数多あるラーメン店の中でも、屈指の名店というものがある。長く日本人の舌を喜ばせてきた老舗、一大ブームを作った名店の店主といえど影響を受けた店はあるはず。50年以上の歴史を持つ「東池袋大勝軒」二代目店主の飯野敏彦さんがプライベートでも通い詰めるラーメン店とその理由は? 他では語られることのなかった名店店主の愛するラーメン店にフォーカスすると、偉大すぎる先代を持つ後継者の苦悩と努力が垣間見えた。
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■マスターと呼ばれた先代のプレッシャー
「東池袋大勝軒」は“ラーメンの神様 ”とも呼ばれる山岸一雄さんが1961年に開業したお店だ。
もともと、麺をタレにつけてまかないで食べていたものを商品として改良し、山岸さんが「特製もりそば」としてメニュー化したところ大ヒット。麺をスープにつけて食べるいわゆる「つけ麺」の元祖のお店として有名になった。
しかし、山岸さんは2004年に体調不良による緊急入院で現役引退を決意。2007年には東池袋エリアの再開発計画による立ち退きで一度閉店したが、一年後の2008年に100メートルほど離れた今の場所で復活を遂げ、二代目の飯野敏彦さんが後を継いでいる。山岸さんの弟子や孫弟子は300人を超えると言われ、「マスター」と呼ばれて親しまれてきた。2015年4月に山岸さんが亡くなられた後も、弟子たちがその味と伝統を守り続けているのだ。
筆者は閉店後、1年で復活を遂げると聞き、ビックリしたことを覚えている。「マスター」の存在が大きすぎる大勝軒。山岸さんの長い歴史とともにファンの思い出も染みついたお店。それが同じ東池袋といえど新たな地で再出発すると聞き、そんなことが可能なのか? と思ったものだ。
再開したお店に足を運んでみると、店前の椅子に座り、お客さん一人ひとりを出迎えている山岸さんの姿があった。店内では汗をかいて必死でラーメンを作る飯野さんら従業員の姿。お店は新しくなったが大勝軒は変わらずそこにあった。