銀座七丁目劇場っていう劇場があったんですけど、そこで大喧嘩しましたよ。いつも出番の前にどのネタをやるかを決めるのは僕だったんです。お客さんの雰囲気とか前の組のウケ具合を見ながら。でも、その日は決めかねて、出番前のギリギリになってしまって、ネタ合わせもちゃんとできずに、本番でネタが飛んだんですよね。そのことが原因で楽屋でお互いに胸ぐらをつかみ合って喧嘩したのが、たぶん一番の大きな喧嘩だったと思います。

 でもお互い喧嘩に慣れてなくて、僕が「てめえ、このやろう!」みたいなことを言おうとしたんですけど、あまりに言い慣れてないから「この、てめえやろう!」って言っちゃったんですよ。変な空気になったのを覚えています(笑)。

ココリコ・田中直樹さん(撮影/福井しほ)
ココリコ・田中直樹さん(撮影/福井しほ)

 いや、どう考えても僕が悪いんですよ。早めにネタを決めていたらネタ合わせも出来て、たぶんネタが飛ぶことも無かったと思うので。でも、それぐらい当時はコミュニケーションが取れていなかったんですよね。

――それから3年後には『ココリコ黄金伝説』(1998年)、さらに3年後には『ココリコミラクルタイプ』(2001年)と冠番組始まりますね。転機になった番組は。

 解散しちゃったんですが、ほっしゃん。さんと宮川大輔さんのコンビ、チュパチャップスさんがMCをされていた「生だ静岡キンゴロー!」っていう生放送の番組で、ワンコーナーに出させてもらったことですね。体を張るようなコーナーでしたが、3年が終わるギリギリで、もうちょいコンビとしてやっていこうかとなりました。ある意味、それが転機になる番組だったんです。

――芸能界は浮き沈みも激しい業界だと思いますが、落ち込んだときに気持ちを盛り上げたり、リフレッシュする方法はありますか。

 落ち込んだときに家に一人でいても、なかなか気分を変えるのは難しいので僕は外に出ますね。特に人のいるところ、街に行くようにしています。部屋のものを探したり、服を探したり、目的は何でもいいんですが、街に出ると生きてるって感じがするじゃないですか(笑)。いろんなものが流れている感じがして。

 下北沢にはよく出没します。好きなお店に行ったり、よく行くお店の人と喋ったり。家を出るときはちょっと面倒くさいなと思っていても、最終的には楽しかったなと思うんですよ。

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20代は「精神状態も良くなかった」