もともとイギリスやアメリカには、ショートケーキと呼ばれる菓子がある。イチゴと生クリームで作られるのだが、生地はスポンジではなく、サクサクとしたビスケットやスコーンだ。
一方フランスには、イチゴとスポンジ生地を用いるフレジェという菓子がある。ただしクリームには、カスタードクリームにバターを合わせた濃厚なクレーム・ムースリーヌが使われる。
不二家には発売当初の詳細なレシピは残っていないが、
「スポンジケーキに、乳脂肪分40%前後の液体生クリームを泡立てたホイップクリームを飾ったもの。クリームにオレンジ、イチゴ、レモンなどの果汁やコーヒー、チョコレートなどを入れて味に変化をもたせたとされます」(橋本さん)
アメリカ式ショートケーキの生地を、日本人好みのしっとりとして軟らかいスポンジに変えたことがポイントだ。
「当初のスポンジは、ほぼカステラに近いものを使用していたようです」(同)
藤井氏が参考にしたかどうかはわからないが、欧米の食べ物をしっとり軟らかくして大成功を収めた先駆者がいる。あんぱんの銀座木村家だ。
1869(明治2)年に創業した銀座木村家は、最初は欧米のような硬く乾いたパンを焼いたが、売れなかった。そこで同社は酵母を工夫。日本酒造りに使用される酒種を用いることで軟らかい生地作りに成功し、アンコを詰めて販売した。1874年のことだ。1900年には、ビスケットに杏ジャムをはさむドイツの習慣をヒントに、ジャムパンを開発した。
話を戻そう。
不二家のショートケーキだが、発売当初からイチゴがのっていたかどうかは、資料が残っておらず不明だという。
「OBによりますと、1933(昭和8)年頃には、スポンジ生地、ホイップクリーム、イチゴを使用したケーキが出ていたといいます。ただし当時はイチゴを入手できる期間は限られており、通年で使用したわけではなかったようです」(同)
■イチゴにあわせクリームも改良
その後、戦争が激化し、洋菓子業界は苦難の時代を歩むことになるが、
「戦争が終わって砂糖や小麦粉の統制が解除(52年)された頃から、クリスマスケーキの需要が急速に広がっていきました。弊社が販促を含めたクリスマスセールを始めたのは、52年頃。50年代後半には関東の35店舗のほか、名古屋圏に7店舗、関西に10店舗があり、関西と中部でもセールを実施。弊社の店舗拡大が、全国にクリスマスケーキが普及する一助になったかもしれません」(同)