20年以上暮らした東京から、再婚を機に長崎県の五島列島・福江島に移住して13年になる。五島市の人口は約3万8千人。港に近い中央商店街の周りに高層ビルのない市街地があり、その周囲には田園風景が広がる。農村部に点在するいくつもの集落には、ドラマでしか見たことのなかった村社会が健在だった。

 移住当初、ウツ病が治り切らず、また本腰を入れ新人賞に応募する小説を書こうとしていた私に、ものわかりのいい義母は、村のつき合いは最低限でよいと譲歩してくれ、農村部にある実家を離れ市街地に住みながら、私は村社会を一歩ひいて眺めていた。そうして数年が過ぎ、働き者だった義父がボケ始め、義母は3年ひとりで我慢したあげく、老老介護の限界を訴える。それから約1年半の間、私は長男の嫁として、アルツハイマー病と診断された義父の最期と向かい合うことになった。

 ホームで、病院で、私は介護を取り巻く多くの人々と出会う。その大半が女性だった。医師、看護師、介護ヘルパー、ケアマネージャー、保健師、市役所職員などはもとより、妻として娘として、そして嫁として、女たちはこの超高齢化社会の最前線で戦っていた。また情報を求めてさまよったインターネットの中で、介護を担う女たちの苦労や悩みとも出会う。これらの出会いが、この小説を書こうと思った動機である。介護に関わっている女たちは、みんな疲れており、追い詰められており、そして孤独で、いろんな境遇の女たちを描くため、私は初めて三人称を選び、複数の女性の視点で物語を進めることにした。
 こうして長崎の架空の小都市「鳩ノ巣」を舞台に、複数の長男の嫁になりきって小説を書くうち、世間体に人がどれだけ左右されるかを痛切に感じ、それを一つのテーマにすえることにした。世間体とは、「人並みであること」を根拠にした見栄や恥の感覚だ。どこでも他人の視線はつきまとうものだが、狭い共同体ではそれがもっとあからさまで、互いに監視し合うのがあたりまえ。「お父さんがデイサービスからティッシュをポケットに畳んで持ち帰ってくるのが死ぬほど恥ずかしい、世間に笑われる」と悩む義母の姿は衝撃だった。自宅介護ではなく、ホーム入所を決めた後も、「とうとう追い出した」と世間のささやく陰口が、消えない罪悪感に悩む私たち家族の胸をチクチクと刺した。

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