もし11歳の自分がこの本と出会っていたら、どんな風に受けとめただろう。この時代に自分が存在する理由、生きる意味について、真剣に思いを巡らせたに違いない。
主人公は、小学5年生の女の子ミレイ。愛情深い両親の下を初めて離れ、鎌倉にある祖母の家〈さるすべりの館〉で夏休みを過ごすことになった。山の自然にあふれた〈館〉のまわりでは、次々に不思議なことが起きる。ミレイは、かつて〈館〉で暮らした曾祖母の少女時代や、戦時中にタイムスリップし、4世代にわたる家族の歴史を知っていく。
ミレイが担うのは、伝達者(メッセンジャー)の役割だ。戦前、戦中、終戦以後――曾祖母の人生の様々な場面にあらわれて、未来を憂える彼女の話し相手になる。やがてフィリピンの戦地に行き着き、出征していた曾祖母の恋人〈ムネヒコさん〉に、あるものを託される。曾祖母の人生を大きく変えてしまった〈戦争〉と間近で向き合うことになる。
私たちは知っている――戦争が終わることを。働く女性の数が増え、女性は多様な生き方を選べるようになることを。だが、自然とそうなったわけではない。過去の「誰か」の闘いのおかげで、私たちは自由を得られた。だから、描ける「未来」は一つとは限らない。「未来」には幾通りもの可能性の種があり、それは「誰か」がいなくなった後に、ようやく芽を出すものなのだろう。
物語が長いスパンで描かれるためだろうか。読みながら、「先祖と結びつく」ような感覚に陥り、懐かしくも新鮮に感じた。物語と違い、外の社会は過去へ思いを馳せる余裕を与えない。安く使い捨てできる商品が氾濫し、思い出はデータ化され、永遠に色あせない。過去がいつまで経っても過去にならない、という焦燥感を覚える。
ものに刻まれた年月や、年老いたものたちの優しさは、今を生きる者の弱さを肯定してくれるように思う。傷だらけの歴史の積み重ねの末に、自分がここに生きている確かな実感。「歴史」という大きな地図の中に自分の現在地を見定める。現代は、そんな当たり前の見当識が失われた世界になっているのではないか、と本書を通して気づかされた。