ある人物がチェーホフの「三人姉妹」の終わりを読み上げる場面がある。〈わたしたちの苦しみは、あとに生きる人たちの悦びに変って、幸福と平和が、この地上におとずれるだろう〉(「三人姉妹」『桜の園・三人姉妹』神西清訳)。心が奮い立つような一節だ。苦しい境遇に置かれたとしても、希望の言葉を一心に唱える。それは、女性や子どもなど社会的に弱い人たちにとって、とりわけ重要なことだった。本書の言葉を借りれば、〈楽しいことばは、この世界を照らす明かり〉なのだから。

 初出は、朝日小学生新聞での連載。90点収録された今日マチ子さんの挿絵の中で、特に気に入ったのは、七章「お話がなかなか進まないのは」に添えられた絵だ。マスコットサイズに縮んだ子どもたちが、じれったい様子でパソコンのディスプレイを見つめている。作者の高橋さんや、読者自身が入り込んだかのような大胆な絵だ。

 本文の内容も、この絵の印象そのものである。作者(を思わせる語り手)が先々のお話を予告し、読者を巧みに焦らすのだ。ケストナーの名作『エーミールと探偵たち』の序章「話はぜんぜんはじまらない」のオマージュらしい。実際に語りはじめる前に、「このお話をどうやって書いているか」、先に手の内を明かしてしまう。まるで実況中継のような書き方。連載をリアルタイムに読んでいた子どもたちは、どんなにワクワクしたことだろう。

 ミレイは、なぜ〈館〉で時空を超えることができたのか。本書では、過去へのタイムスリップが〈夢〉に重ねて表現されている。祖母はミレイに語りかける。〈この『館』は、長い、長い、覚めない『夢』をずっと見ているんだ。それは、この『館』で起こったこと、ここに住んだ人たち、ここを訪れた人たちの『夢』だ〉。〈古い写真を見ていると、胸の奥がぐらぐらするような〉懐かしい気持ちになることがある。〈それは、『服』も『写真』も、ずっと『夢』を見ていて、そのことを、あたしたちが感じるからなんだ〉。

 夢を見るのは人間ばかりではない。動物や人形など、一見言葉や感情を持たないものも夢を見るのだという。言葉の意味に頼らないからこそ、世界の細部、人が知り得ないものを感受できる。本書では、ミレイを導く重要な役割を、傷ついた犬たちや古いぬいぐるみが果たしている。〈「なにもしない」をする〉など、無意味さに浸ることの魅力も描いており、心落ち着く。

 文学とは、「あり得たかもしれない未来の夢」を照らし出す装置なのだと思う。題の「ゆっくりおやすみ」は、死者を送り出す挨拶であると共に、〈夢〉の世界へ誘う合言葉のようだ。

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