「自分の家庭を持たなかった高野さんは僕たち社員を大切にしたんです。心が広くて度量の大きな人だった。『映画を紹介する仕事も自己表現』という言葉にも感動しました」
20代で広報・宣伝・渉外を任され、「おっかさん(高野さんの愛称)の無理難題に応えようと寝る間もない。次々に壁が立ち現れた。でもおっかさんのために頑張ろうと毎日頭を抱え、頭をかきむしっていた」。65歳の定年まで関わったのは56カ国、260本。世間の主流は欧米の娯楽映画。こっちは232席(当時)のミニシアター。そんな中、「世界を見渡して、日本の立ち位置を考えながら、どんな作品を上映しようかを考えました」
作品と出会い、監督やスタッフと交流し、映画に込められた思いを日本に届ける。その責任を感じながら邦題とキャッチコピーを考え、字幕を入れた。
「初日を迎え、第1回目の上映でスクリーンに映像が映った時が胸にぐっと来る瞬間です。お客さまが満足している表情を見るのが一番嬉しい」
そんなはらださんがこだわったのがロシア隣国のジョージアの作品。ロシアに侵攻されるなど戦火の絶えなかった国で懸命に生きた人々を映画が表現してきた。(次号につづく)
延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー。小説現代新人賞、アジア太平洋放送連合賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞など受賞。新刊「松本隆 言葉の教室」(マガジンハウス)が好評発売中
※週刊朝日 2022年12月30日号