時季外れの降雪を記録した日には、雪景色の中での咲き始めの桜が印象的でした。そして今週は、菜の花と桜の美しいコントラストが目に鮮やかなエリアもあるようです。
「入学式(4 月)と桜」……そんなイメージを抱いている方も多い中、今年は咲き始めるのが随分と早いようです。東京では本格的に桜が咲き始め、あたり一面が淡いピンクに染まっています。
心浮き立つ風景の代表格が桜……。今回は「桜」の詩歌に焦点をあてて、ご紹介しましょう。

一気に開花し、波の飛沫のように散りゆく桜

日本の詩歌の語彙としては、春の桜と秋の紅葉が最もポピュラーな題材です。
桜に先立って咲く梅は中国からの渡来植物で、主に漢詩の題材でしたから、言ってみれば知識人の愛玩物です。桜は身分にかかわりなく、万葉人に始まって日本人に愛されてきたのですが、ただ、桜は咲き誇る姿ばかりではなく、その散りようが昔から詠われてきました。
散る桜を雪が散る様子や波の飛沫と重ねて、そのどこか悲劇的な様子を歌う歌も多いのです。次の歌が代表ですね。
〈世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし〉在原業平
春に桜というものがなかったら、春の心はどんなに安らかだろうに、といった意味です。そのあわただしいような散りゆく姿は、仏教的な無常観とも結びついてこんなふうに詠まれます。
業平は次のような歌も詠んでいます。
〈さくら花散りかひくもれ老いらくの来むといふなる道まがふがに〉在原業平
「桜の花よ、散り交わして老いがやって来る道を分からなくしておくれ」と桜に呼びかけています。
〈はかなさをほかにもいはじ桜花咲きては散りぬあはれ世の中〉藤原実定
〈花は散りその色となくながむればむなしき空に春雨ぞ降る〉式子内親王

満開の時季の雨と風で、水上にたまった花びらはまるで筏(いかだ)のよう……(花筏)
満開の時季の雨と風で、水上にたまった花びらはまるで筏(いかだ)のよう……(花筏)

陰りのある近現代の歌も

次の歌は「新古今和歌集」の幻想的でロマンティックな歌。
〈さくら花夢かうつつか白雲の絶えてつねなき峰の春風〉藤原家隆
近現代の歌を少し挙げてみます。どことなく陰りのある歌も多いですね。
〈ちる花はかずかぎりなしことごとく光をひきて谷にゆくかも〉上田三四二
〈桜ばないのち一ぱいに咲くからに命をかけてわが眺めたり〉岡本かの子
〈桜よりかすかな冷えのいちはやく人にきざせしのちの夕闇〉永田和宏
〈さくらさくらさくら咲き初め咲き終わりなにもなかったような公園〉俵万智

いろいろな表情がある、俳句の桜

俳句の桜には、いろいろな表情があります。短歌と比べると、自分の心情とは距離を置いているような印象があるのは、やはり俳句の音の短さが影響しているのでしょう。
野澤節子の句は、桜の薄ピンクがどこか青ざめているという意外な観察眼が効いていますし、角川春樹の句は不穏な味わいです。
〈酒なくて何のおのれが桜かな〉作者不詳
〈さまざまの事思ひだす桜かな〉松尾芭蕉
〈ゆさゆさと太枝ゆるるさくらかな〉日野鬼城
〈夕桜あの家この家に琴鳴りて〉中村草田男
〈てのひらに落花とまらぬ月夜かな〉渡辺水巴
〈さきみちてさくらあをざめゐたるかな〉野澤節子
〈夜桜や物の怪通るとき冷ゆる〉角川春樹
関東で見頃を迎えた桜。これから桜前線は北へ北へ進んでいきますが、いつの時代も日本人の心を写す、華やかでいながら儚さに満ちた桜を、存分に楽しみたいものです。