西部邁は1月21日、多摩川で入水自殺した。その1カ月ほど前に刊行された『保守の真髄』のあとがきを読むと、当初は、10月22日に決行する予定だったとわかる。その日が衆議院選挙の投票日となったため、迷惑の最小化を考えて延期したようだが、西部が自身の死を見すえてこの本を著したことは確かだ。
本書は4章立てで構成され、副題にあるように、現在の〈高度技術情報社会の紊乱(ぶんらん)ぶり〉を明らかにした上で保守の本質を説く。そのアプローチは、西部らしく人間の不完全性を前提に、対象とするテーマの正確な語意を確認しながら展開する。
〈紊乱とは「文がもつれた糸のように乱れる」状態を指す〉
タイトル周りの語句すら、西部は曖昧な使用を嫌う。文明と文化の関係について論じるならば、当然のように「文明」と「文化」とは何か、語源とともに先人たちの至言も引用しつつ歴史的変容にも言及し、どちらの語意も明らかにして先へ進む。だからテンポよくは読めないが、同行すれば、この社会の問題を根源的な視座に立って考えられるようになり、現況の原因を深く理解して絶望と向きあうことになる。
たとえば、日本が米国依存から脱するためにはどうすればいいか問い、その問いの意味を根源的に、論理的に考えていけば……核武装は必然となる。西部は、だから核武装も、原発も必要と主張する。
西部は知行合一の人だった。最終章で「生き方としての死に方」について論考し、「自裁死」の意義を語っている。そして、西部はあの日、自身が語ったとおりの死に方を実行してみせた。
※週刊朝日 2018年3月23日号