人類史上、最も疲れやすい時代――。

 それが、現代です。

 私たちの祖先は数十万年もの間、狩猟や農耕を行い自然とともに暮らしてきました。身体とDNAは、長い時間の中でその生活に最適化されてきたわけです。

 しかし、文明の誕生からわずか数百年で、人類のライフスタイルは激変しました。そして近代は、これまで人類が体験したことのない環境となっています。処理すべき情報量は爆発的に増え、関わる人の数も増大し、冷暖房による極端な温度変化にさらされ、8時間以上も仕事をして緊張状態が続く……これまでの人類のDNAには想定外の異常事態に、身体と脳が対処を迫られているのです。

 ここのところ、「過労死」に関するニュースが本当に多いと感じますが、地球上のあらゆる生物の中で「過労死するのは人間だけ」であることを、ご存知でしょうか。

 例えばライオンは、空腹であっても疲れたと感じれば迷わず獲物を追うのを止めて休みます。しかし人間は身体が悲鳴を上げていることに気づかず、壊れるまで走り続けてしまう……。そこまで人間を追い詰めるものの正体はなにか。私は疑問を持ち続けてきました。そしてある日、その正体につながる不気味な“影”に触れる体験をしました。

 当時、大阪大学で精神科の医師をしていた私は、過労死の訴訟を担当していた友人の弁護士の紹介で、過労死をされた方のご遺族から、直に話をうかがう機会を得ました。そこでご遺族の方々が口を揃えて述べたことがあります。

「早朝から深夜まで仕事をして明らかに疲れていたのに、本人は『疲れている』などとまったく言わなかった。疲れを訴えてこなかった……」

 命を失うほど疲労がたまっていたのに、家族にそれを打ち明けないのは非常に不可解です。これはもしかすると、本人が我慢していたわけではなく、本人も疲れているのがわからなかったのではないか。自覚できない種類の疲れがあるのではないか……。そう考えたときに「隠れ疲労」の存在と、そのリスクの高さに気がついたのです。

 それから私は、「隠れ疲労」の研究に没頭しました。

 疲労の研究というのはまだ歴史が浅く、日本において国が本格的に取り組みだしたのは1991年頃からです。1999年に文部科学省が新たな研究班を発足させ、2003年には産官学が連携して「疲労定量化及び抗疲労食薬開発プロジェクト」が立ち上がりました。私はこのプロジェクトのリーダーを務め、日本の疲労研究の最前線で、最新医学に基づいた科学的な根拠のある疲労の軽減法や回復法について知見を広げてきました。現在は、日本で唯一の疲労医学を専門とする大学講座を受けもち、研究を続けるとともに、科学的に正しい疲労回復法の啓蒙に努めています。

 そうした研究により、ついに「隠れ疲労」の正体が科学的に解明され、“表に引っ張り出す”ことに成功しました。

 では、「隠れ疲労」の正体とは何か。

 仕事や運動、人間関係など疲れを起こす原因は様々ですが、いずれの場合も共通していえることは、「疲れは身体ではなく、視床下部や前帯状回など脳にある自律神経中枢で起こる」ということです。通常、脳の自律神経中枢が疲弊すると、情報を眼窩前頭野に送り、そこであえて「身体が疲れた」と疲労感を自覚させることにより防御的に休もうとします。ところが、人類においては意欲や達成感を司る前頭葉が異常に発達したため、眼窩前頭野が発するこの「疲労感」を消し去ってしまうことがあります。

 ひとつ、整理しておくと、「疲労」と「疲労感」は別物です。疲労が「実際にたまっていく疲れ」であるのに対し、「疲労感」は「脳というフィルターを通した感覚」に過ぎません。そして私たちの生活では、実際の疲れと脳が覚える疲労感が一致しないことが、よく起きているのです。

 その結果、生まれるのが、疲れがあるのにそれを認識できない、疲労感なき疲労……すなわち「隠れ疲労」です。

「隠れ疲労」の最悪の結末が、突然死です。また、疲れは万病の元であり、がんや脳卒中、心筋梗塞、糖尿病、認知症など幾多の病気と深く関連しています。

 本書では、現代を生きる私たちが「隠れ疲労」に陥らず、健康に人生を楽しむためにはどうすべきか、食事や睡眠、日常習慣などについて考察を重ねています。

 それに加え、世に流布している疲労対策の多くに科学的根拠がないことを危惧し、その誤りも指摘しています。「熱い風呂に浸かると疲れがとれる」「栄養ドリンクで疲労回復」といった、世の中で常識のように言われていることが、実は誤りである場合がいくつもあります。そうした「疲労回復の新常識」も、併せて知ってもらえたらと思います。