一方、父親は文学青年でした。商家の一室に大きな書棚が一つ。文学全集や小説がぎっしりつまっていました。小・中学校の頃、作文の宿題が出ると、こちらが頼みもしないのに、必ず父親が代筆してくれました。読んだり、書いたりするのが余程、好きだったのでしょう。ところが、店での客あしらいは下手でした。なんとも、たどたどしいのです。そういう私も人としゃべるのが苦手な子でした。そこは父親に似たのかもしれません。
父の趣味は謡曲と写真。写真は現像を自分でやっていました。そして大相撲が飛び切り好きでした。食事をする居間の壁には、東西の幕内力士の木札がかかっていました。そしてラジオの実況放送を聞きながら、負けた力士の札を裏返しにするのです。その札を眺めながら晩酌する父親は本当にうれしそうでした。
後年になって、父親と晩酌する機会が増えました。両親が仕事を終える頃に実家を訪れると、母親が即席のおつまみを作ってくれます。いずれもうまい。父親と杯を傾けて、時折、母親が口をはさむといった具合です。いい雰囲気でした。
時々、両親のことを思い出そうと思います。それでないと、あの世で再会したときに、ご無沙汰すぎて怒られます。
帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など著書多数。本誌連載をまとめた「ボケないヒント」(祥伝社黄金文庫)が発売中
※週刊朝日 2023年5月5-12日合併号