南アでは、主要な街と街は大型バスや乗り合いバスが結んでいるが、中規模以下の街や、短中距離間を行き来する場合には、流しの乗り合いタクシーが使われている。乗り合いタクシーだけでなく一般車両も、同乗を求めて道路脇に立って待つ人々を乗せることは少なくない。一般道だけでなく高速道路でも、ヒッチハイクする人の乗り降りは、頻繁に見られる。

 南アではこれまで、レンタカーを借りる際にも、現地で出会った人々からも、車を持たない人々からも、「知らない人を乗せないように」「道端で誰かが歩み寄ってきても、相手にしないように」と言われてきた。ヒッチハイクや民芸品の販売を装い、金品や自動車を強奪する事件に遭遇してしまうことを懸念しての、アドバイスだった。

 車外から物品は極力目に触れないように保管し、借りる車両も南アではごく一般的なものを選んだが、相対的に金持ちと思われても仕方がないアジア人であることは隠しようがない。しかも、私は1人で乗車。何かが起こってしまっても、なされるがままとなるしかない。私はヒッチハイクをする姿を見かけても、常に通り過ぎるようにしていた。

 私の気持ちが晴れなかったのは、そのような人的被害に会うことを心配していたからではなく、南アの治安面に不安を持ち続けていたからでもない。5人乗りの自動車を1人で運転しているにも関わらず、その空いているスペースを欲している人々を、ヒッチハイクする人々を無視し続けることが、私の心を常に曇らせていたのだ。

 ヨーロッパと変わらぬ風景が続き、どこまでも整ったインフラが行き届いた南アだが、それでもアフリカだ。アフリカ諸国のあちこちで痛感してきた、困った人がいれば助け合うのが当然という習わしが、南ア社会でも深部において共有されていることは、現地の人々と接すればすぐに感じることができる。

 同じ場所に居合わせた人どうしで飲み物や食べ物を分け合ったり、見知らぬ人の手を引いて目的地まで歩みを一つにしたり、助け合いの心は、南アでもごく当たり前に存在している。私もできる限り、その習わしに従ってきたつもりだ。しかし、南アでの運転時では、そうはできずにいる。

あと4人乗車できるスペースがあることが誰の目にも明らかなのにも関わらず、こちらに向けて手をあげる人々を黙って通り過ぎるたびに、大好きなアフリカにいながら、アフリカの流儀を無視しているような気持ちになり、そのたびに気持ちが濃く曇った。それでも結局、「私には、こうするしかできないのです」と心の中で呟くしかなかった。

 再び南アを訪ねれば、私はまた、状況に応じてレンタカーを使うだろう。ただ、安価に得られる利便性と同時に、心に広がる曇り空も必ず付いてくることを、その都度私は覚悟しなければならない。

岩崎有一(いわさき・ゆういち)
1972年生まれ。大学在学中に、フランスから南アフリカまで陸路縦断の旅をした際、アフリカの多様さと懐の深さに感銘を受ける。卒業後、会社員を経てフリーランスに。2005年より武蔵大学社会学部メディア社会学科非常勤講師。ニュースサイトAERA dot.(アエラドット)にて「築地市場の目利きたち」を連載中