《ビート・イット》の制作は、まずスティーヴ・ルカサーらTOTOのメンバーを中心にしたセッションでベースとなる音を仕上げ、そのテープをクインシーとマイケルがエディのホーム・スタジオに持ち込み、そこでギター・ソロのパートを吹き込むという流れで進められていった。

 その後さらに音を加え、調整し、無駄な部分を削ぎ落とす作業がつづけられていき、《ビート・イット》は完成。エディのソロだけでなく、ルカサーの弾くシャープでスピード感にあふれたリフも含めて、マイケル・ジャクソンの世界とロックが無理なく一つになったこの曲は、翌83年春に3週連続全米1位を記録し、アルバム『スリラー』の世界規模での成功にも大きく貢献した。また《ビート・イット》は《ビリー・ジーン》とあわせて、MTVなどが黒人アーティストのビデオを積極的に取り上げるようになる新しい潮流のきっかけとなったともいわれている。

 このコラムを書くため、ひさびさに《ビート・イット》を聴いてみたのだが、あらためて驚かされたのは、クインシー・ジョーンズの直感と決断力だ。それまでにもたとえば、クリーム時代のエリック・クラプトンがアーメット・アーティガンの推薦でアレサ・フランクリンのセッションに参加するということはあった。まったく状況はことなるが、ドゥエイン・オールマンも無名時代、ウィルソン・ピケットやアレサのバックでギターを弾いている。しかし、マイケルとエディのジャンルを超えた共演は、そこで残した商業的成果も含めて、まさに異次元のものだった。[次回5/15(月)更新予定]

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