《ビート・イット》の制作は、まずスティーヴ・ルカサーらTOTOのメンバーを中心にしたセッションでベースとなる音を仕上げ、そのテープをクインシーとマイケルがエディのホーム・スタジオに持ち込み、そこでギター・ソロのパートを吹き込むという流れで進められていった。

 その後さらに音を加え、調整し、無駄な部分を削ぎ落とす作業がつづけられていき、《ビート・イット》は完成。エディのソロだけでなく、ルカサーの弾くシャープでスピード感にあふれたリフも含めて、マイケル・ジャクソンの世界とロックが無理なく一つになったこの曲は、翌83年春に3週連続全米1位を記録し、アルバム『スリラー』の世界規模での成功にも大きく貢献した。また《ビート・イット》は《ビリー・ジーン》とあわせて、MTVなどが黒人アーティストのビデオを積極的に取り上げるようになる新しい潮流のきっかけとなったともいわれている。

 このコラムを書くため、ひさびさに《ビート・イット》を聴いてみたのだが、あらためて驚かされたのは、クインシー・ジョーンズの直感と決断力だ。それまでにもたとえば、クリーム時代のエリック・クラプトンがアーメット・アーティガンの推薦でアレサ・フランクリンのセッションに参加するということはあった。まったく状況はことなるが、ドゥエイン・オールマンも無名時代、ウィルソン・ピケットやアレサのバックでギターを弾いている。しかし、マイケルとエディのジャンルを超えた共演は、そこで残した商業的成果も含めて、まさに異次元のものだった。[次回5/15(月)更新予定]

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大友博

大友博

大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。dot.内の「Music Street」で現在「ディラン名盤20選」を連載中

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