『1984』VAN HALEN
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《HOT FOR TEACHER》

 ジミ・ヘンドリックス、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジなど、多くの人たちからギター・ヒーローとして称賛され、その功績がさまざまな形で語り継がれてきたアーティストは、60年代後半から70年代初頭にかけて大きな仕事を残している。前回のコラムで取り上げたリッチー・ブラックモアもその一人。

 ある意味ではこの時期に「出尽くした」といってもいいだろう。しかし、その、いわば基礎を築き上げたパイオニアたちの絶頂期を少年時代に体験した次世代のギター・ヒーローが、1970年代後半から80年代前半にかけて、つぎつぎと登場してくる。その代表格がヴァン・ヘイレンのギタリスト、エディ・ヴァン・ヘイレンだった。

 1955年、オランダで生まれたエディは、62年ごろ、両親、兄アレックスとともにロサンゼルス近郊のパサディーナに移り、父の影響もあってそのころからピアノを習いはじめたという。このあと、ドラムスからギターへと興味は移っていき、ギターに関してはやはり、クリーム時代のエリック・クラプトンから計り知れないほどの影響を受けたそうだ。

 アレックス(ドラムス)、デイヴ・リー・ロス(ヴォーカル)、マイケル・アンソニー(ベース)とバンドを組み、74年ごろからヴァン・ヘイレンの名前で本格的な活動を開始した彼らは、精力的なライヴ活動が認められ、78年にデビュー。強烈な存在感のロスを前面に押し出すイメージで幅広い人気を集めながら、新世代のギター・ヒーロー、エディ・ヴァン・ヘイレンの評価を高めていくこととなる。

 速くて、正確。しかもメロディアスでドラマ性も豊かなエディのギターはまさに新しい時代の到来を感じさせるものだった。彼が原点ではないが、タッピングというテクニックよってギターの表現領域をさらに広げ、日本ではそれがライト・ハンド奏法などと呼ばれて注目を集めるようになった。

 多少時期は前後するが、当時は、エディだけでなく、ニール・ショーン(サンタナ/ジャーニー)、ランディ・ローズ(オジー・オズボーン)、スティーヴ・ルカサー(TOTO)、ブラッド・ギルス(ナイト・レインジャー)なども、ヘンドリックス/クラプトンの次の世代として、それぞれのスタイルで存在感を示すようになっている。その彼らの登場と活躍は、高出力のピックアップを搭載した新しいタイプのエレクトリック・ギターやフロイド・ローズなどチューニング・ロック・システムの開発と歩調をあわせたものでもあった。それを進歩と呼ぶかどうか、ここで意見を述べることは避けたいと思うが、いずれにしても、そういった技術面での変化もきっちりと受け止めながら、エディは自分だけのギター・ワールドを確立し、結果的にそれが、80年代半ば以降のギタリストたちに刺激を与えることになったのだった。

 ヴァン・ヘイレンのデビューから3年後の81年、アメリカでMTVの放送がはじまり、ビデオ時代、極端にいえばヴィジュアル偏重の時代になってしまったことも忘れられない。彼らもたくさんのビデオを制作し、たとえばちょっとエッチな《ホット・フォー・ザ・ティーチャー》など、そのほとんどが明るく笑える内容のものだった。小学校を舞台にし、『アメリカン・グラフィティ』の雰囲気も取り込んだそのビデオでエディは、図書館に並べられた机の上を歩きながら、明るい笑顔で個性的なソロを弾いている。「笑いながら、ハイテクニックの、とんでもないギターを弾く」。それはおそらく、誰にも真似できないことだった。[次回5/3(水)更新予定]

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