硫黄島の「鎮魂の丘」で、「献水」をする天皇陛下と皇后雅子さま。おふたりは、慰霊碑の前に歩み出ると、柄杓を手に静かに水を注ぎ、渇きに耐えた犠牲者の霊に祈りを捧げた=2025年4月7日午後4時5分、東京都小笠原村
硫黄島の「鎮魂の丘」で、「献水」をする天皇陛下と皇后雅子さま。おふたりは、慰霊碑の前に歩み出ると、柄杓を手に静かに水を注ぎ、渇きに耐えた犠牲者の霊に祈りを捧げた=2025年4月7日午後4時5分、東京都小笠原村

 陛下と雅子さまは、慰霊碑の前に歩み出ると、柄杓を手に静かに水を注ぎ、犠牲者の霊に祈りを捧げた。

 八巻さんは、事務局長としての仕事があり現地には行かなかったが、祈る思いでニュースを見ていた。

昭和天皇は、硫黄島に来ることはなかった。しかし、昭和や平成の時代にはいまの上皇ご夫妻が、そして令和のいまは両陛下が硫黄島に足を運んでくださった。慰霊を続けてくださることは、嬉しい。一方で、あまり知られていませんが、強制疎開で硫黄島を出されたまま島に帰れず、苦しい生活を強いられた元島民もいます。軍属に徴用され命を落とした82名の島民もいる。天皇の名のもとに、数えきれない犠牲が出た。頭では誰のせいでもないと理解していても、皇室に対する複雑な胸の内を整理しきれない遺族もいる」

 もうひとつの問題が、いまだ終わらない遺骨収集だ。硫黄島で犠牲になった2万1900人のうち、およそ1万1000柱の遺骨が未帰還のままだ。

「硫黄島は、いまは自衛隊基地が置かれ、米軍の空母艦載機の陸上離着陸や給油、通信訓練に使われています。そのため、訓練が行われる飛行場周辺の土地では、遺骨収集作業が進まない」

 いまだ半分の遺骨が見つかっていないのに、遺族の高齢化は進み、いつしか忘れ去られてしまうのではと考えるのはつらい、と八巻さんは吐露する。

「硫黄島で見つかった遺骨のなかには、頭蓋骨や胸がないものもたくさんある。玉砕の島で追い詰められて陶器製の手りゅう弾を胸に抱いて自決した兵士は、その頭や胸が吹っ飛んだためです」

 天皇陛下は、「戦中・戦後の苦難を今後とも語り継ぎ」と述べていたが、遺骨の収集も同じだ。

 八巻さんは、80年間も硫黄島の乾いた土に埋まっている1万を超える遺骨を、早く連れて帰りたい、と願っている。

(編集部・永井貴子)

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