渡米前はほとんど実績がなかったのに、メジャー経験を積んで帰国後、主にワンポイントリリーフとして活躍したのが、柏田貴史だ。
89年にドラフト外で巨人入りした左腕は、94年に1軍デビュー、4月14日の横浜戦でプロ初勝利を挙げるなど、16試合に登板したが、その後は出番に恵まれなかった。
だが、97年春、メッツのキャンプに研修生として参加すると、米国では希少な横手からの“フラミンゴ投法”がボビー・バレンタイン監督の目に留まり、金銭トレードの形でセ・リーグ出身のメジャーリーガー第1号としてメッツの一員に。同年は35試合に登板、3勝1敗、防御率4.31を記録したが、夏場以降の不調から1年で自由契約となり、巨人に戻った。
米国での貴重な経験をノートにつけ、実戦で生かした柏田は、99、00年と2年連続で50試合以上に登板し、リリーフで2勝した00年には日本一に貢献。米国時代を「ひたすら必死に投げていただけで、いろいろと考える余裕はあまりなかったですよ」と回想している。
(文:久保田龍雄)
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