革新的だった沢田研二のルックス
「僕のマリー」は、セールスという点では不発に終わったが、続く「シーサイド・バウンド」(67年5月)、「モナリザの微笑」(67年8月)は音楽雑誌「ヤング・ミュージック」(集英社)のランキングでそれぞれ2位、1位となる大ヒット。
続く「君だけに愛を」(68年1月)も発足したばかりのオリコン・ランキングで2位を獲得し、サビで客席に向かい「君だけに」と指をさすポーズは少女たちを熱狂の渦に叩き込んだ。
GSとしては先発のジャッキー吉川とブルー・コメッツやザ・スパイダースを瞬く間に抜き去り、不動のトップスターとなったザ・タイガース。彼らの人気を支えたものは何だったのだろうか?
もちろん、すぎやまこういち、橋本淳といった優秀な制作陣や、当時、芸能メディアを席巻していた渡辺プロダクションの実力は無視できないが、それ以上に社会にインパクトを与えたのは、沢田研二のルックスだったと思う。
それ以前のスターは石原裕次郎、加山雄三など、いかにも男性的な魅力を持つ人が主流だった。しかし、沢田研二は華奢で、二重まぶたのクリッとした目に長髪という典型的な“少女漫画の王子様タイプ”だ。
ザ・タイガースが主演した「世界はボクらを待っている」(68年)という映画があるのだが、「イエロー・キャッツ」という曲の演奏シーンで、猫のような手ぶりをして歌い踊る沢田研二の媚態はとても60年近く昔のものとは思えない甘苦しさ。
60年代は世界的にジェンダー観が大きく変動した時代だった。そして沢田研二はそのニーズにジャストタイミングで応えられる稀有なルックスの持ち主だったのだ。
旧ジャニーズ事務所の創業者で80年代以降の男性アイドル業界を独占したジャニー喜多川も、貴公子のような“ジュリー”を見て自社タレントの売り出し方やイメージ戦略を変更。沢田研二を“アイドルの理想形”としてプロデュースの参考にしていたといわれる。