
夫から一度も謝られたことはない
長引いた2年間の調停は、残念ながら不成立に終わった。夫はまだ再構築を希望しているので離婚できない。DVから逃れるのは困難なのだ。あとは訴訟しかない。
「家を出てから、一度も謝られたことも、子どもの健康状態を聞かれたこともありません。加害は自覚しないと直せない。でも、加害者がそれを自覚することは難しいんです」
子どもの頃、地元・富山では「誰々が離婚した」というのは大人たちの噂のネタだった。自然と「離婚=悪」だと思い込んでいたと言う。
「子どもの頃は、まだ葬式もセレモニーセンターではなくお寺や公民会で行い、町内会の婦人部が食事や会場設営を担っていました。正月や祭りでは男性はひたすらお酒を飲むだけ。小学校高学年にもなると『色気づいた』などと揶揄われながら女の子は配膳やお酌を手伝わされます。『こうして男性のために立ち働くことが正しいんだ』と思って一生懸命あわせる一方、『外に出たい』と必死で勉強して進学しました。もし生まれる時代が10年あとだったら、東大進学も難しかったかも。地元は人口減少が進み、工場やお店も閉鎖が目立ちます。家業も傾いて、高騰する大学の学費や、東京の家賃を捻出してもらえなかったでしょう。いま、地方では『進学は地元で』『大学に行くなら隣の県までにしときなさい』と言われている女の子が増えているのでは、と心配です。ふたたび男女格差が広がっていきます」
地元に残っていたら孤立は防げたのか
藤井さんがもし地元に残っていれば、離婚をするとなっても、実家のサポートを受けることができ、孤立も防げただろうか――。
「どうでしょう。そもそも結婚しない生き方を選んでいたか、DVを受けても離婚できなかったかも。そっちのほうがこわいです。日本ではいま、男性も女性も非婚の人が多い。シングル親や、高齢化で死別のひとり世帯も増えています。恋愛結婚をベースにしない助け合いの形が必要です。家族や血縁の枠にとらわれず、支え合う生き方が広がっていくのではないでしょうか。介護だけでなく、『ゆるい支え合い』を行政が補助したり、性別関わらずパートナーを認定したりする仕組みができるといいですね。それが個人の安心にも、社会保障費の削減にもつながると思います」
(構成/AERA編集部・井上有紀子)
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