――高校卒業後、芸能界に入ることに迷いはなかったですか?

 当時は大学に行くか仕事するかで悩んでいて。将来のことを全然考えていなかったんです。でも音楽に携わる仕事をしたくて、VJ(ビデオジョッキー)に興味があって。そのときに、母の個人事務所が動いてくださったんです。音楽が好きなことを尊重してもらってラジオ番組や雑誌の連載のお仕事をいただきました。ただ、雑誌のファッションページに出たら「モデルデビュー」と報じられ、私が追いつかないスピードでいろいろなお仕事のオファーが舞い込んでくる。最初は両親の名前を出したくなかったんです。性格的に目立ちたくなかったし、地味でいたい。でも、そんなことを言える状況ではなかったですね。

「あっ、無理しなくていいんだ」

――当時は苦しかったですか?

 両親が芸能人でなければ、お仕事をもらえなかったですし、ありがたみは感じていました。頑張っていたけど、スキルがないからできることが限られていた。さらには自分のやりたいことと現実がかけ離れていてうまくいかないから、自信がなくなる。悪循環でしたね。ネットのコメント欄で批判の書き込みを見ることがありましたけど、「そうだよね、私は何もできていない」って心に刺さっていました。当時は今日一日を無事に終わらすことを考えて生きていましたね。

――両親に相談されましたか?

 言わなかったです。母の個人事務所に所属していたので、親子という関係性ではなく、すごく難しい時期でした。2013年に事務所を移籍するんですけど、そこで仕事のスタンスが変わりました。タレントは私1人、スタッフが2人だけという環境で一つ一つの仕事に更に責任感を感じていました。最初は両親の話をしたり、求められる話題を意識したりして発言していたんですが、いろいろ考えずに自然体で発言したほうが番組にもう一度呼んでいただける回数が増えて。「あっ、無理しなくていいんだ」って自信につながりました。

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