
昨年夏の都知事選挙でも、小池百合子氏に対して怒声を浴びせる男たちがいた。遠慮なく小池氏をババアと罵り、ありとあらゆる罵詈雑言を力の限り、浴びせていた。そういう男たちの怒声は、少なからず小池氏の票につながったと私は思う。ちなみに、小池氏は、そんな罵声をうまくきちんと利用し、男たちの暴力性を際立たせ、自分のアピールに利用していた。でも、そんな特殊技能、なかなか身につけられるものじゃない。フツーの女は大椿氏が言うように、「こんな怖い思いをしたくない。選挙なんか出たくない。政治家なんかなるもんじゃない。公人になんかなりたくない」と恐れるだろう。
女性にとって安全な社会とは男に殴られないことが大前提だ。自分の正義がいくら正しくとも、女をババアと罵るような性差別主義者の声の大きさは、確実にこの社会の自由と安全を自ら手放しているのではないか。
今回の参議院選挙で私は、教師による性加害や日本版DBSについて触れていたり、女性や子どもの安全を公約として前面に語る候補者を探していたのだけれど、見つけられない。毎日のように、女性が男性に殺されるニュースが流れてくる。毎日のように、男性による性暴力のニュースが流れてくる。それでも、「女の安全」は重要な政策にならない。なぜなのだろう。
女であることでここまで叩かれる社会で、女は沈黙する。私たちに必要なのは、本当の意味での女性の安全と、男女平等の社会だ。女も男の平等に殴る、という男たちの怒声の先に、そういう未来は見えない。
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