
細川政元をご存知だろうか。将軍追放のクーデターなどで戦国時代の扉を開いた一方で、呪術や空中飛行の修行にも没頭していた、史上稀に見る権力者だ。
その派手な行動に比して知名度が低い存在だったが、細川氏を研究している古野貢教授が『オカルト武将・細川政元』を上梓し、スポットライトを当てている。
もう一人、本書をもとに細川政元についてYouTubeで解説動画を投稿したのが、歴史系YouTuberのミスター武士道さん。わかりやすい歴史解説動画が人気を博し、チャンネル登録者が20万人を超える人気YouTuberだ。
今回、本書を読んだというミスター武士道さんと、古野教授の対談が実現。細川政元の生きた室町末期について、存分に語ってもらった。
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ミスター武士道:『オカルト武将・細川政元』拝読させていただきました。私のチャンネル視聴者も戦国時代が好きな方が多いのですが、細川政元は、知名度のある織田信長とかよりも前の世代であまり知られていない人物なのかなと思ったので、とっつきやすさが良いなと思いました。
今回、なぜ細川政元をピックアップされたのでしょうか。
古野:政元は織田信長や三好長慶に先行する存在で、時代を変えた点ではゲームチェンジャー的な存在として評価できるんじゃないかと思いまして、政元に着目して解説しました。
戦国時代については一般的に、織田信長が革命的な働きをして時代が変わったのだというような理解があると思います。でも研究が進んでいく中で、信長という人物は革新的な部分がありつつも、少し保守的な要素も持ち合わせていたんじゃないかという研究が出てきています。
そして信長に先行する三好長慶らの活動を評価するような動きもあり、16世紀あたりへの理解が変わりつつある中で、大きな社会的な変化が起こったのはもう少し前なんじゃないかという指摘をされるようになってきまして。政元に注目することで、16世紀の後半から17世紀にかけて時代が大きく変わる転換点を表せるのではないかと考えました。
ミスター武士道:ゲームチェンジャーとしての面を持つ政元ですが、僕の政元のイメージは「天狗」だったんですよね。天狗やオカルト的なものに憧れて、女性との間に子供を作らないということが縛りとしてあったから、後継ぎができず、一族が分裂して争いに繋がってしまったわけで。この人は駄目な人だったんじゃないかというイメージだったんです。
それが、本書を読む中で、政元はただのオカルトかぶれではないのだと。
応仁の乱など各地でさまざまな混乱があって、幕府の全国支配の盤石さが薄れていく中で、政元自身は修行を通してそれを超越する力を手に入れようとしていたというのが見えてきますよね。自らが「修行」を理由にわざわざ越後まで行ったりしていたというのは、支配体制を強化しようとしていたということなのでしょうか。
古野:そうですね。養子の取り方なども含め、政元は彼なりの政権構想のようなものがあったのだろうと考えています。
彼の幼少期に応仁の乱があって、父親の勝元も早く亡くなりますし、周囲の内衆と呼ばれるような人たちが口をはさんでくるという状況下で、少なくとも不安定な状態を何とかしたいという、彼なりの課題意識のようなものはあったんじゃないかなと思います。
課題解決の手段として、1つは公家との連携をとろうとしたのだろうと思いますし、もう1つは修験といったものを利用してでも、遠方のほうの勢力と連携を取るなどし、安定させることを模索していました。
今回、天狗であったり飯綱の法であったり、政元の傾倒していた修験的な世界のありかたというものの裏付けを考えていた時に、『不問物語』それから『芸藩通史』といった記録を見ると、非常に広い範囲にわたって動いて影響を持とうとしていることがわかりまして。
たとえば政元の師匠になった宍戸氏は広島のほうが本拠地ですし、それから空を飛んでいこうとしたと言われているのは越後のほうで、東は関東、西は広島までが、彼が影響を持とうとしていた範囲なのかなということが改めて確認できました。視野が広かったと思います。
そう考えると、「暗愚」といった評価をされがちな政元の、別の一面が見えてくるのではないかと思います。
ミスター武士道:今おっしゃられた「公家の力も」という話、私もそこが凄く面白いなと思いました。
公武合体というと幕末の明治維新のイメージがまずわいてくるんですけど、それ以外でも例えば豊臣秀吉も自ら将軍になるのではなくて、関白になりましたよね。